73年前、日本軍が決行したインパール作戦。およそ3万人が命を落とし、太平洋戦争で最も無謀と言われたこの作戦は、なぜ決行されたのか。新たにイギリスで見つかった膨大な機密資料や兵士の証言などから、その真相を追う。 上層部の人間関係が優先された意思決定 かつてビルマと呼ばれていた、インドシナ半島西に位置するミャンマー。1944年3月に決行されたインパール作戦は、川幅600mにもおよぶ大河と2000m級の山を越え、ビルマからインドにあるイギリス軍の拠点インパールを3週間で攻略する計画だった。しかし、日本軍はインパールに誰1人、たどり着けず、およそ3万人が命を落とした。 インパール作戦は、極めて曖昧な意思決定をもとに進められた。 1942年1月、日本軍はイギリス領ビルマに進攻し、全土を制圧。イギリス軍はインドに敗走した。日本軍の最高統帥機関である大本営はインド進攻を検討するが、すぐに保留。しかし、1