本能寺の変の知らせを聞いた徳川家康が大阪から愛知県に位置する岡崎城まで3日で帰ったという「伊賀越え」を徒歩で再現する旅に挑んでいたのですが、2日目にして足の裏が激しく痛むトラブルが発生し、結局3日目は1歩も進めず伊賀越えは失敗に終わりました。なぜ失敗してしまったのかを振り返りつつ、伊賀越えを成し遂げた家康の身体能力について考察してみることにします。 ◆伊賀越えとは? 本能寺の変で織田信長が討たれた際に、家康は堺(現在の大阪府堺市)周辺を遊覧中でした。家康は堺から大阪府四條畷市に位置する四條畷神社に移動した際に本能寺の変の知らせを聞き、そこから伊賀を経由しつつ愛知県岡崎市に位置する岡崎城まで3日で帰り着いたと伝わっています。この大移動は「伊賀越え」や「神君伊賀越え」として現代にまで言い伝えられているのですが、「3日という短期間で四條畷神社から岡崎城まで移動する」ということが本当に可能だったの