フィアット社とアンサルド社は、不特定の外国からの要請により、両社の自己資金によるプライベートベンチャーとして、L3軽戦車を発展させた輸出用戦車として、砲塔に2挺のブレダ M38 8 mm機関銃を備えた、3番目の試作車「M6中戦車」を試作した。開発は1937年暮れに始まり、1939年10月26日に軍に披露された。 時を遡ること、1938年12月1日、軍は、「重量7トン、最高速度35 km/h、航続距離12時間、武装は20 mm機関砲と同軸機関銃 または 旋回砲塔に2挺の機関銃」という、「M7中戦車」という新型中戦車の要求仕様を提示した。 これに対し、フィアット社とアンサルド社は、輸出用戦車として開発していたM6中戦車で、応えた。しかし、それはM7中戦車の要求仕様の一部にしか応えられなかった。 しかし、CSMのコズマ・マネーラ(Cosma Manera)将軍は、M6中戦車に関心を示し、旋回砲塔