
2011年3月11日、日本の東北地方沖で発生したマグニチュード9の巨大地震による津波は、宮城県、岩手県、福島県の3県を中心に、東北地方、関東地方の太平洋岸に大きな被害をもたらした。場所によっては波高10メートル以上、遡上高40メートル以上を記録したというから、想像を絶する破格の津波だったといえる。 では、それはどのようにして引き起こされたのだろうか。 基本中の基本として……津波の原因となりうるものには、3つ代表的なものがあるそうだ。 「地震と火山と地滑りがよくある津波の原因です。津波は英語でもtsunamiと言いますが、もともとサイスミック・シー・ウェイブ(地震による海の波)だったんですね。1946年のアリューシャン地震のときに、ハワイが被害を受けました。その時の議論で、同じような波が、地滑りや火山噴火でも起きるのに、サイスミック(地震性)というのはどうか、というのがありまして。そこで日系
2011年の3月11日、ぼくは取材でカンボジアに滞在していた。 大地震の発生から2時間ほどたった頃に、宿泊先のホテルに戻ってきてインターネットで知った。部屋で視聴できるCNNなどの海外メディアも、すぐに震災一色になったので、とにかく日本で「とんでもないことが起こっている」と把握できた。最短で帰国できる飛行機で東京の自宅に戻ることに決めた。 その時点で報道されていたものの中で、最も衝撃を受けたのが、東北地方太平洋岸の津波の映像だった。巨大な水の壁というか、岸の見えない巨大な大河が逆流してくるかのような現象が、あちこちの都市を破壊していくのは、ただただ恐ろしかった。その時、報道されたのは、たまたま被害の現場に居合わせた人が撮影したビデオだったり、公的機関の公開映像だったりしたわけだが、今では観測データをもとにコンピュータシミュレーションで再現したCGで、マクロな視点から確認出来る。 海底の断層
国土交通省は2011年10月4日、東日本大地震・震災における津波での被災状況の調査結果(第2次報告)の要旨を発表した。現時点までの調査結果として、「鉄筋コンクリート造(RC造)・鉄骨造の建物は再使用困難なほど壊れる可能性は低い」「各構造建造物とも高層物ほど損壊度は低くなるが、特にRC造ではその違いが顕著」「木造でも3階建て以上の建造物の場合は損壊度が低い」などの傾向が確認できたとしている。国土交通省側では今後もデータの収集・分析・精査を行うと共に、被災地域の復興計画検討・立案の際にリスク評価のための基礎資料として役立てる資料生成を進めて行くと説明している(【発表リリース】)。
ウェザーニューズは2011年9月8日、東日本大地震・震災における津波の被害に関する調査報告を発表した。無事に避難が出来て生存した人と、亡くなった人との間の行動・判断の違いを確認するための調査で、減災対策・避難活動の計画立案などにおいて、非常に重要な資料に仕上がっている。今回はその中から、津波から逃れるための、地震(本震)発生から避難開始後の時間にスポットライトを当てることにする(【発表リリース】)。 今調査は2011年5月18日から6月21日にかけて北海道・青森県・岩手県・宮城県・福島県・茨城県・千葉県の1道6県で被災された方を対象に、インターネット及び携帯・スマートフォン経由で行われたもので、有効回答数は5296件。うち生存者自身の回答は3298件、亡くなられた方に関する回答(関係者などによる証言)は1998件。亡くなられた方のデータは生存している関係者からの聞き取り・回答なので、不確か
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3月11日に起きた東日本大震災。あの日以来、テレビやネットでは様々な映像が報じられてきた。その中でも、多くの人が見た光景といえば、震災直後に上空から津波を映した映像。そして夜間に報じられた、気仙沼市が火の海になっている空撮映像(陸上自衛隊による撮影)ではないだろうか。 今回紹介するのは、まさにその時、その場所である気仙沼市で撮影された貴重な映像、その名も「津波にのまれた気仙沼中央公民館より」シリーズである。 動画サイトYouTubeにアップされている映像は、全5本。長いものでは1分、短いものだと約10秒。おそらく気仙沼中央公民館から携帯電話で撮影された映像であろう。 1本目の動画には津波によって水浸しになった気仙沼市の光景が。多くの人が屋上に避難している。2本目の動画には、遠くの場所で火事が発生し「火がこっちに来そうだ……」と心配する声が収録されている。そして3本目には、見渡すかぎり火の海
【大震災】地震と津波のまとめ動画があった・・・ 小ネタ集 Tweet ◆管理人が2ちゃんねるやひまぴくで見つけた地震情報や小ネタをまとめました 880: 名無しさん@涙目です。(東京都):2011/04/16(土) 18:08:38.07 ID:3FDX6SPt0 まとめ動画があった・・・。 #1 #2 #3 881: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/04/16(土) 18:16:58.47 ID:EFKXQe090 >>880 初見の映像が結構あるな サンキュー 890: 名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/04/16(土) 19:23:05.22 ID:XAfYMYSc0 >>880 津波に目が行きがちだけど地震やっぱりハンパねえな 898: 名無しさん@涙目です。(東京都):2011/04/16(土) 19:58:39.43 ID:0jtPOTGa0 >>
76:名無しさん@涙目です。(広島県):2011/04/14(木) 01:05:59.48 ID:PicGa+vf0 銘菓「かもめの玉子」で知られる「さいとう製菓」の社長さんが撮影 - 大船渡市 東日本大震災からこうして避難・そして大津波 http://www.youtube.com/watch?v=N58tJucmVbU 撮影者は地震中の冷静な避難支持で話題になった↓の動画と同じ人 http://www.youtube.com/watch?v=0VTGY4KKpFA 会社は4/7より復興目指して再稼働中。 http://sankei.jp.msn.com/region/news/110406/iwt11040612370001-n1.htm
2011年4月13日に行われた「東北大学による東日本大震災1ヶ月後緊急報告会」(@トラストシティカンファレンス・仙台)のツイートまとめ。 五十嵐太郎さん(@taroigarashi)のツイートを軸に構成。 <開催概要> 主旨: 続きを読む
【津波】存在しないと思われた女川町の津波動画がアップされる Tweet 1:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/04/09(土) 11:31:54.52 ID:KqDHBfBu0 前スレ : 【動画あり】女川町からの津波動画うpがない理由 同じ視点の昔の町並み 撮影場所 http://goo.gl/maps/5Y2s 関連動画 271: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/03/24(木) 22:37:30.45 ID:NSnzYJvS0 女川町からの津波動画うpのない理由 19: [―{}@{}@{}-] .(兵庫県):2011/04/09(土) 11:41:40.66 ID:8FXKLVxOP おいおいおいおい 手前の建物は海抜20M以上の高台にあるやつじゃん 60:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/04/09(土) 12:07:55.15 ID:yRh6
津波から、自分の命を守り抜いた子供たちがいる。岩手県釜石市立の14の小中学校全校は、校内にいた児童生徒約3千人全員が無事。掛け替えのない命を救った独特の防災教育に注目したい。 釜石市で防災教育に携わってきた群馬大学の片田敏孝教授(災害社会工学)は子どもたちに呼び掛け続けてきた。要点は三つ。一つは「想定を信じるな」。市教委とともに各地の津波浸水状況、避難経路を想定したハザードマップを作った。子供に登下校時の避難計画も立てさせ、基礎知識を刷り込んだ。しかしあえて「その想定を信じるな」と教えた。想定に頼れば、想定外の事態に対応できなくなるからだ。二つ目は「その状況下で最善の避難行動を取ること」。事前にどんな想定をしても、実際の津波は単純ではない。三つ目は「率先避難者たれ」。人のことは放って置いてもまず自分の命を全力で守ること。「必死で逃げる姿」が周囲への最大の警告になるからだ。
【東日本大震災】「津波なんてここまで来るわけがない」 そう言われながら10年かけ作った岩山の手作り避難所、70人の命救う Tweet 1:西独逸φ ★:2011/03/31(木) 06:06:02.71 ID:???0 「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。 東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に 「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。 平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。 近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。 「避難場所は家からすぐの場所
「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。 地
トレーラーを牽引したトラックがアクション映画な勢いで突っ込んできたら怖すぎる。 ,デイブがいつも通り帰って来ただけだよ。)30年間畑に放置されほぼ朽ちかけていた1965年製のエンジンを蘇らせるオーバーホールの動画が気持ちい。 躊躇なく部品交換で新品いれてるなぁ 日本人のレストアはオリ...)バイクのバックファイア音を銃声と勘違いしてタイムズスクエアがパニックに。 俺も知ってるが)空港にワンちゃんが紛れ込むとこうなる(笑)なかなかのチームワークを見せる地上サービス員たちの映像。 ぼくりゅん夜勤中、許された。)渋谷の街がガチでネズミに占拠されつつある。今度はH&M店内でもネズミが撮影される。 トンキン土人ランドw)渋谷の街がガチでネズミに占拠されつつある。今度はH&M店内でもネズミが撮影される。 トンキンは焼き払うべき)あおり運転をしていた大型バイクが工事中の砂利路面に突っ込んで(ノ∀`) ノ
宮城県南三陸町の佐藤仁町長(59)は、町庁舎に隣接する防災対策庁舎の屋上に避難し、その庁舎が濁流にのみ込まれた時の様子を振り返った。 防災対策庁舎は、1960年のチリ地震津波の被害を教訓にした鉄筋コンクリート3階建て。災害時には、救助や被災者支援、復興計画の拠点となる施設で、町職員たちも「堅固な防災対策をとった庁舎なら大丈夫」と思っていた。 発生当時約40人が庁舎内におり、このうち約30人が屋上に避難した。ところが、津波は3階屋上をも包み込んだ。町長によると津波の高さは約13メートル。屋上の金網に必死ですがりついた町職員も、金網と一緒に次々とのみこまれた。 津波は何度も何度も、執拗(しつよう)に襲ってきた。第一波ではじき飛ばされて偶然、屋上に出る階段の鉄製手すりにつかまることができた佐藤町長らは、近くに設置されていたアンテナによじ登り、身を守った。 妻を残した家が押しつぶされるのを目の当た
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