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人生に関するdaidagdawnのブックマーク (5)

  • アルファルファモザイクより「最近婆ちゃんと爺ちゃんが64の大乱闘スマっシュ兄弟Sにハマった」

    動物。 先日、前の職場の同僚だった女の子が飲みの席で俺をそう評した。 自分の性分を最も的確に言い表していると思った。 27歳。 自分の人生で、自己啓発に感化されたのは二回。 高校の時と、25歳の時。 高校の時は、和田秀樹だ。 25歳の時は、「プロ論」を始め2005年を中心に話題になってただ。 どちらも、自分を信じきることが出来ずに挫折。 高校の時は、自分で立てた勉強計画に沿って問題集を理解しながら進めるってコトが出来なかった。 いついつまでに、この問題集を終わらせないと行けないのに理解力が足りなくて、なかなか先に進めなくて、気付いたら大幅に計画遅れ。 「自分で決めたことも出来ないのか、俺って頭悪い、俺って軟弱、俺って意志薄弱」 いつのまにか、机に向かってるときに考えてるのは、こんなことばかりになった。 25歳の時、「プロ論」他に感化されてからは、仕事でプラスアルファのことをやろうと

    アルファルファモザイクより「最近婆ちゃんと爺ちゃんが64の大乱闘スマっシュ兄弟Sにハマった」
  • 「人生をゲームに喩えると…」問題 - matakimika@hatenadiary.jp

    関連トピックっぽいものをざっと飛ばし読んでの妄想。ほとんど関係なくなってきた。まあいい。 人生ゲームに喩えるとしたら、ゲームは多様なのだから、いろんな解釈や視点がありうるはずなのだが、なぜか RPG か ADV の話ばかりで、なんか(特定)人文系のひとの指す「ゲーム」が「≒エロゲー」であることに通じる状況。やけに偏ったゲーム観だなというか。もはや誰しも偏っていること自体は仕方ないのだが(というか誰一人として標準的な観点に立てなくなって久しい)、似たような偏りが集中しているのは興味深いようでもあり。要するに、特定のクラスタのひとたちの間でしか流通してないってことだなこの話題は。 というか RPG にせよ ADV にせよ、それらはもとから人間(キャラクタ)の人生(の一部)のたとえ話みたいなものなわけだから、そこに当てはめてみたところで比喩になってない。なんというか、「このコーヒーの味を、コー

    「人生をゲームに喩えると…」問題 - matakimika@hatenadiary.jp
  • もう六年くらいネット上でヲチしてるひとがいて、

    古風な文学青年、というかそろそろ40超えてるのだが、とある明治の文豪をひたすら崇拝し、自らをその後継者と信じ、陳腐としかいいようのない文学論を書き続け、現代の小説を憎むこと甚だしく、というか実のところ戦後の小説はおそらく彼にはほとんど理解不能のようなのだが、ともかく現代社会と文化の堕落を嘆きつつ、でもテレビは大好きで、倉庫のバイトで日々の生活費を稼ぎ、たまに風邪をひくと嗚呼自分も啄木のように肺病で死ぬかもしれん、と布団の中で一人悲愴感をつのらせ、たまに女性から優しい言葉をかけられると彼女は自分と結婚したがっているのだと思い込み、とまあこう書くとかわいらしいのだけど、彼が掲示板blogに書き続ける妙に意気軒高な文章を読んでいるとまず苦笑が、次いで嫌悪感と恐怖がじんわりとこみあげてきて、というのも彼はおそらく思春期の頃に設定した小さな輪の上をもう数十年ぐるぐると廻り続けていて、その徹底した他

    もう六年くらいネット上でヲチしてるひとがいて、
  • また君か。@d.hatena 永久帰還装置

    自分になにかよくないことが起きたら落ち込むが、おれの場合ほかのひとと比べて落ち込むレートがわりと低いというか、そういうのともちょっと違って、いい歳こいてもいまだ生き方にどこか投げ遣りなところがある。どっち方向にせよ舵取りがいい加減。似たようなところで夏目漱石「坊ちゃん」の主人公の「生まれついての無鉄砲で損ばかりしている」というアレがあるが、おれの場合たぶんべつに損ばかりしているかんじでもないし、あっても自業自得だし、無鉄砲というよりは投げやりであって、なにごとにも粘り腰が足りないという話だ。ともあれこれは、短期的にはガサツというか痛覚が鈍いので適当に生きていられて便利だか、長い目で見てよくないことで、ダメージ蓄積の自己診断が遅れて、だいたい気が付いたときにはどうにもならず見ている方角へ向かってとにかく歩くよりほかにやることがなくなっている。来ひとの生き方というものはもうちょっと自由度とい

    また君か。@d.hatena 永久帰還装置
  • http://d.hatena.ne.jp/laddertothemoon/20070223/p1

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