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戦争と中日新聞に関するdaisukejapanのブックマーク (2)

  • 井筒和幸監督「他国が攻めてきたら日本国民は無抵抗で降伏すればいい。それから政府が交渉すればいい」 : はちま起稿

    中日新聞より 中日新聞朝刊10/29 「デモに参加しただけなのに」 国会前のインチキハンスト学生 公務執行妨害で逮捕されていた 過激派と疑われ公安から取調べ 人はご立腹 遊びで参加したデモごっこ 世の中舐め過ぎたな 公安マークの人生か… pic.twitter.com/dQQZSjri24 — パンパカパンツ (@kitanihonganba) 2015, 10月 28 ・そらダメでしょ。憲法違反に賛成も反対もない。言語道断ですよ。集団的自衛権を発動する三要件の一つに存立危機事態っていうのがあるけど、意味が分からない。「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」と書いてある。そんなやばい時に同盟軍を守ってる場合じゃないでしょ。 個別的自衛権だって必要ない。万が一他国が攻めてきたら国民は無抵抗で降伏し、すぐに首相や政治家が和平交渉に出るんです。九条が為政者にそう命じ

    井筒和幸監督「他国が攻めてきたら日本国民は無抵抗で降伏すればいい。それから政府が交渉すればいい」 : はちま起稿
    daisukejapan
    daisukejapan 2015/11/01
    「人間」を知らなすぎ。彼の映画は見てないが、今後も見る意味が無いことが分った。
  • 「1人でも戦争に反対しろ」 大本営作戦部長、親族に:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

    太平洋戦争の終結を受け、一九四五(昭和二十)年九月二日、東京湾に停泊した米戦艦ミズーリ号上で行われた降伏文書調印式。大営陸軍部の最後の作戦部長としてこの場に随行した宮崎周一中将=長野県飯山市出身=が、その一週間ほど前に同県内の親族を訪ね、「たった一人になっても戦争には反対しなさい」という言葉を残していたことが分かった。宮崎中将のいとこの娘にあたる同県飯田市の西村節さん(77)が、中将の回想記を保管していることを明かすとともに、当時の様子を初めて語った。 回想記には「終戦直後信州帰郷」と記されていた。西村さんはこれまで当時のことを親族以外には語らずにきた。多くの犠牲を出した戦争で、作戦指導の中枢にいた宮崎中将とのかかわりが知られれば、迫害されるかもしれないと恐れたからだ。しかし、戦後七十年がたち、ようやく「おじさんの言葉を残したい」と思えるようになった。

    「1人でも戦争に反対しろ」 大本営作戦部長、親族に:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)
    daisukejapan
    daisukejapan 2015/06/26
    現代日本人は、考察の方向が常に内省的で外に向かない弊がある。敵を知りで始まる兵法に沿ってまずは周りで何が起きているのかを見て、止めるべきはどこかを考える事も必要。
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