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politicsと考え方に関するdalのブックマーク (2)

  • 「普通の人」を代弁してくれるのは誰だ?

    外国人、少数民族、女性、被差別部落、障害者、貧困者(ホームレス・労務者)等の属性に当てはまったら、 社民・共産とかリベラル左翼な人たちが立場を代弁してくれたり、生活を支援してくれたりする。 農家や経営者だったら自民党が、大企業のサラリーマンや公務員だったら民主党が、 その人達の利益に沿うような政策を掲げて、政権を取ったら政策を実現してくれる。 創価学会員なら公明党が動いてくれる。 ところが、普通の日人男性で、労組もないような中小企業のサラリーマンの俺は、 どこに行っても利益を代弁してくれる人がいない。 俺のような日社会でのマジョリティは、必然的に無党派にならざるを得ない。 「自分で労組作れよ」とか「自分で選挙に立候補しろ」ってのは、全く非現実的だ。 そんなことする労力の余裕なんかあるわけ無いし、労働運動して会社に睨まれたり、 立候補して落選したあとの生活を考えたら、とてもそんなことでき

    「普通の人」を代弁してくれるのは誰だ?
  • 「天皇に「私(わたくし)」なし」という神話 - 梶ピエールのブログ

    少し前のことになるが、事実上胡錦濤国家主席の後継者と目されている習近平国家副主席が訪問し、天皇との会見を行ったことが、天皇が外国要人と会見する際に通常適用される「1か月ルール」に従っていなかったとして物議を醸した。この事件はいくつかの点で非常に重要な意味を持っていると思うので、ここで改めて考えてみたい。 まず、目立ったのは産経新聞など右派系のメディアを中心にした、これは党内に権力闘争を抱える習近平が天皇の政治利用をしている、けしからん、という論調の批判的な報道であった。 天皇を政治利用している=礼儀知らず、という習氏への否定的なイメージは、たとえばこの後カンボジアの訪問の際に7月5日のウルムチの騒乱の際に亡命し難民申請を行っていたウイグル人20人の強制送還が行われたとの報道により、さらに強化されたかもしれない。 確かに、人道的観点からカンボジア政府の決定が責められるべきものであるのはいうま

    「天皇に「私(わたくし)」なし」という神話 - 梶ピエールのブログ
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