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2009年6月2日のブックマーク (2件)

  • ■ - paint/note

    ・私にとって美術とは計量可能な事物からの唯一の離脱としてあるのかもしれない。量や交換とはコミュニケーションや経済を含んだもので、だとするならそれは今の環境の大部分を覆っている。 ・だから、美術はけしてコミュニケーションを誘発するツールだったりはしない。芸術は常に交換できない経験であって、例えば私が見たフィリッポ・リッピの「受胎告知」の経験は、決して誰ともコミュニケートできない。あるいは、私の制作の経験は、けっしてだれともコミュニケートできない。 ・そこでは「量」が常に問題になる。ここでよくある反応が「量」という野蛮さへの抵抗として「精密さ」を対峙させる事だけど(アカデミズムとはそういう物だと思う)、もちろん精密である、ということはある基準に対して比較検討可能な「計量可能性」を担保にしているからこそ実現するのだ。 ・だから、計量可能な環境、あるいは交換可能な環境(言い方を変えれば計量可能だっ

    ■ - paint/note
    dalmacija
    dalmacija 2009/06/02
    ええと、「クオリア」という単語を使うとどんな変奏が書けるっけ。
  • 人間には二種類あるけど、優劣はない - As a Futurist...

    「アイデアのつくり方」を読みました。こんなに「小さく」「薄く」「文字が大きい」 なのに、すごい内容のあるでした。というか、ものすごい自信がにじみ出ているで、 だからこそ伝えたいことが明確に伝わってきました。僕もいつかこんなが書きたいと 思いました。 人間は二種類いる 「アイデアの作り方」でも真面目に、しかも厳しく指摘されていることだが、 人間には大きく分けて「二種類」のタイプがあると僕も思う。 書の言葉を借りれば、「この世界を組み立て直す側の人間」と「型にはまった、 着実にものごとをやる、想像力に乏しい、保守的な人間」の二種類だ。これが生まれ持った ものか、それとも後天的な環境でそうなったのかということはどうでもよくて、 現実に 2 つのタイプの人間がいるということは、確かに事実だと思う。 また、最近見かけた以下のエントリでも、似た様なことを言っている。 そして、都会とは、直線的

    人間には二種類あるけど、優劣はない - As a Futurist...
    dalmacija
    dalmacija 2009/06/02
    考えた挙句が保守的なバランス取りになっちゃう人っているけど――このエントリの場合「劣ってない」はそうだと思うけど、「優れている」の否定は間違いだと思うなあ。対称的に捉える必要ないんじゃ。