●松下村塾と吉田松陰 古人は「死に方」を重んじた。立派な死に方をしたいと念願した。それは何故か。 それは小事に対して末(すえ)を乱す人は、大事に終りを全(まっと)うしないからである。その為に、悲惨な死に方をするのだと言う。“死に態(ざま)”が悪いと言う。その為に「死に方」が重んじられる。 立派な死に方は、正しく生きた人でなければ出来る事ではない。況(ま)して、生きて居る間は、楽を得ることはなかったが、せめて死んだ後に楽を得ようと言うような、死して後の極楽浄土を祈念する輩(やから)や、自殺願望者の死は、決して美しい死に態(ざま)ではないと断言できよう。 安らかな死に方、安住を得る死に方は、決して死に急ぎをし、安易に死ぬことではないと言うのだ。 美しい死に方の出来る人、見事な死に方の出来る人は、「今、この一瞬」という、「今」という瞬間に真剣勝負を挑み、そして見事に一生を大切にして、生き抜いた人
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