●人間の心に、何かの観念が出ると、その観念の型のとおりに宇宙本体から微妙な力が働き出し、その観念の型が、良ければ良いように、悪ければ悪いように、思い方が積極的であれば積極的なものができ、消極的なら消極的なものができる。 ●人間の心で行なう思考は、人生の一切を創る。 ●人間の心のあり方が、結局人生を支配する法則の根本である。 ●実在意識が直接に行なった動作は、そのいかなることも問わず、それを数多く繰り返していると、いつかその動作が、今度は潜在意識の支配で行なわれるようになる。すると、その後の動作は半意識的にか、または無意識的に行なえるようになり、実在意識は、以前のように直接監督の努力をしなくて済むようになる。(中略) だから、習慣的行動というものは、自分の潜在意識に働かされてなすところの行ないなのである。(中略)潜在意識こそは、肉体の建設者で、また広い意味においての人生の建設者である
前回ご紹介した『チベットの生と死の書』(ソギャル・リンポチェ著/講談社)から、もう少し「カルマ」に関する記述を拾ってみたいと思います。 私たちの心には「通常の心の基盤」と呼ばれるものがある。そのことを14世紀の傑出したチベットの師ロンチェンパは次のように語っている。 「それはいまだ悟りにいたっていない、どっちつかずの状態である。心と精神作用の範疇に属し、すべてのカルマの因(もと)となるものであり、輪廻と涅槃(ねはん)の道となるものである」。 それは倉庫のようなものだ。煩悩によって引き起こされた過去の行為による心理的刷り込みのすべてが、種のように貯えられているのである。条件が整ったとき、それらは芽を吹き、人生を取り巻く環境と境遇として現れる。 この「通常の心の基盤」は銀行のようなものだと思えばいい。そこにはカルマが心理的刷り込みと習癖という形で貯えられている。肯定的であれ否定的で
●魔界の使命 魔界は神界に相対する世界であり、神界に匹敵する力を持っています。すなわち、魔界も神であるということです。神界と違うのは破壊、混乱、消滅という負の力がはたらくことです。その魔界の神は人間を神の道へ導く使命を持っています。魔界はそのために存在しているのだと言っても過言ではないくらい大切な使命なのです。 人間が神の道を求めるのは、魂が神界を求めるのですから当然のことなのです。しかし、神の道を求めるとはいっても、求めれば誰にでも与えられるほど安っぽいものではありません。それは命がけであり、真剣勝負なのです。しかも、人間の一生を賭けて掴むものなのです。それだけに、厳しい試練が絶え間なく与えられるということになります。 この厳しい試練を与える役を全て引き受けているのが魔界であるということです。神を求める人間は掃いて捨てるほどいます。しかし、純粋に、しかも命をかけてまで求めるという人
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く