タグ

論と非モテに関するdarimaruのブックマーク (3)

  • 役に立つか分かんないけど自分の場合。 - はてな匿名ダイアリー

    http://anond.hatelabo.jp/20070215142757 自己嫌悪に陥る部分含めて自分は自分なんだと認める。変わりたいと思うならどうすればいいかを考え、変われないと思うなら自己嫌悪をやめる。どうしてもそれで辛ければ人に助けを求めてみる。相談するなり愚痴を聞いてもらうなり。 相手への不満は、我慢するのではなく心から「相手には相手の考え方がある」と思える心境をまず作ってから、「でもこうしてくれると自分はうれしい」という要望として伝える。自発的にそうしてくれないということは自分は大事にされてないってことだ系の考えは捨てる。またその際相手がNOをいう権利はちゃんと認める(強硬手段に出たりして言うこと聞かせたくなるのは、NOと言われることを内心認められていない時)。 それでも自分の感情としてどうしてもNOと言われることを認めたくない場合というのもある。そのときは、仮に不満を言っ

    役に立つか分かんないけど自分の場合。 - はてな匿名ダイアリー
  • 何故混同するのだろう

    非モテの問題は、その向上心の無さとか卑屈さとかネガティブさとか、そういう精神的問題のはずだ。 なのに何故、脱オタとか合コンとか話しかけてみろとか、そういう現実的解決に救いを求めるのだろう。 「恋人が出来ても救われない」という非モテ特有の問題は、結局そこに帰化すると思うのだが。 だから、「そんな事考えている暇があったら、自分を磨け」という意見自体がナンセンスであり、 非モテで悩んでいる人は、まずは精神的解決を目指すべきで、その後で現実的解決を目指すべきだと思うのだが。 「何故勉強しなければならないか」が理解出来ない子供に対する、「そんな事考えてる暇があったら勉強しろ」という一見正論に見える意見が、全く意味を成さないのと一緒だ。 モテ・非モテ議論で、両者の意見がい違っているのは、モテ側が、現実的解決を目指している一方、非モテ側は、精神的解決を目指しているという違いなんじゃないだろうか。

    何故混同するのだろう
  • 増田の杜: 男は簡単に惚れすぎるんじゃないか

    何かのスペース。: もう一生女なんて信じない その1 何かのスペース。: もう一生女なんて信じない その2 何かのスペース。: もう一生女なんて信じない その3 何かのスペース。: もう一生女なんて信じない その4、とネタばらし 今回いろいろと話題になっていたような男と女のすれ違いが起こるのは、「友情と恋愛」とか「恋愛と性欲」とか「家に泊まるのはどうか」とか「恋愛とか以前の人としてのマナー」とかいろんな要素があると思いますが、その中から俺がもっとも興味がある 「男の恋愛と女の恋愛はすこし違う。端的に言うと男は惚れやすすぎるのではないか」 ということについて、今回見つけた記事の中から例を挙げながら書いてみたいと思います。 今回の一連の流れを見ると、発端となった記事のように、「男は相手に恋愛感情を持っていたが、女は仲の良い友達だと思っていた」というケースが世の中にはよくあるみたいだ(例1、例2

    増田の杜: 男は簡単に惚れすぎるんじゃないか
  • 1