2002年に39歳の若さで死去したエッセイスト兼消しゴム版画家ナンシー関の作品を、改めて年代順に辿ってみると、印象として、後期になるほど特に彼女の消しゴム版画からは、それだけで完結して笑いを喚起しようという意志が希薄になっていくように思われる。キャリアを経るごとに描線は繊細になり、したがって描かれる図像の自由度は高くなるはずなのだが[*1]、しかし作られた版画たちからは奇をてらった風刺的意匠が逆に影をひそめ、ミニマルな同構図の反復が目指されているかのようだ。 もちろん、消しゴム版画のわきに置かれたエッセイに関してはその限りではない。「才能」という言葉はあまりに気軽に使われてしまうけれど、ナンシー関は「才能」で評価されることを正当だと感じさせる極めて稀な書き手だった。彼女の文章は、常に慎ましく抑制され、これほかないというところまで推敲・圧縮されたものだが、同時にそれは常に「笑える」ものを目指