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言論に関するdasaitama_osamuのブックマーク (3)

  • ネットの言論はクズ - finalventの日記

    ⇒切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる ま、そりゃ、ネットの言論はクズでしょ、またーり、みたいにも思うのだが、言論とかいうときのスコープが違うのな。非モテとか非コミュとか、俺くらいの歳のフツーの男とかから見ると、別に情報業界場末の中小企業社長さんにぶいぶい美学を語らせるまでもなく、バカじゃねーこいつらってことになる。で、ま、端的にネット側から応答すると、爺、氏ね、つうことになる(そして俺も爺だ)。そのあたりのズレの全体構図がわかってないとネット言論の持つ潜在的な意味はよくわかんないですよ。ってか、補助線的に言えば、吉隆明が80年代にマスイメージ論あたりでサブカルチャーを文学と同一地平に置いたあの柔軟性みたいなものが、今、ネットの言論で起きているのに気がつかないやつ、ゆっくり寝ていてください、というか、言わなくても安眠しているげ。ま、俺くらいの歳で

    ネットの言論はクズ - finalventの日記
  • 「言説のフォーマット」という権力とそれにともなう責任 - アンカテ

    「記者ブログ炎上」というネーミングはよくないと思う。記者さんが口を塞がれたならこれは全然違う話で、私は人が言葉を発することを封じることには断固反対だ。 しかし、この事件では、記者さんは反論する場を奪わたわけではなくて、自発的にブログをおやめになっただけだ。「炎上」というネーミングには、その記者さんが言葉を発することに対する憎しみがこめられているとは思うけど、その憎しみは物理的な暴力でなく、あくまで言葉によって表現されたわけです。 言葉に言葉をぶつけて何が悪い?と私は思うのです。 コメントに何が書かれていようが、書いた人が「それを記者さんに読んでほしい」と思っている限りは、言論でしょう。 関係ないことを大量コピペするような行為があったなら、それは言論ではなく物理的暴力だと思う。もし、そういうことやクラッキングが主たる要因でブログがつぶされたら、それには、私は反対する。 「これを読んでくれ」と

    「言説のフォーマット」という権力とそれにともなう責任 - アンカテ
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2007/05/21
    『憎しみにあふれた言葉しか出せない人には、それ相応の理由があるわけで、自分がそういうポジションに置かれてないのをいいことに、言論から憎しみを排除するなら、最終的には暴力を甘受するしかない』
  • 「真実性を求めて分析・洞察した結果、みなが幸せになれる、政治的に正しい結論になりました」というパターンのブログ記事 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

    が、実名ブログに多いのは何故なのか? そもそも、私を含む、ほとんどの人間には、ことの善悪や美醜を評価する能力なんてない。 にもかかわらず、何かを価値評価するような発言がネットにあふれているのは、 (1)自分にその能力があると勘違いしている (2)無意識的or意識的に権力ゲームをしている のどちらか、もしくは、両方による。 これを、池内ひろ美氏のブログ炎上事件について書いている404 Blog Not Foundの記事の例で考えてみる。 これは、 トヨタの期間工の若者たちに対して、 離婚コンサルタントの池内ひろ美氏が、 『「トヨタ」を漢字で書けるのか』 や 『彼らに年間300万円以上も払っているトヨタは偉い』 など、侮辱?することを書いたために、ブログが炎上した。 という事件だ。 池内氏の問題のブログ記事を分析していくと、この問題は、たいていの人間には、理解するのがとても困難であることがすぐ

    「真実性を求めて分析・洞察した結果、みなが幸せになれる、政治的に正しい結論になりました」というパターンのブログ記事 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
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