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2007年6月15日のブックマーク (2件)

  • 汎用のブログ間対話プロトコルとしての「関心相関性」 - アンカテ(Uncategorizable Blog)

    構造構成主義とは何か―次世代人間科学の原理 この考え方をブログの対話に適用するとどうなるかという話。 専制君主としての「客観性」 「君の(あいつの)意見は客観的ではない」という悪口は、私が若い頃にはよく聞いたが、最近はほとんど聞かない。 日常会話の中でそういうことを言う人が客観的であったことの方が稀であるような気もするが、ともかく「客観的」であることが何らかの権威に通じていた時代の端っこに私は生まれている。だから、その失墜には多少の生活史的な実感がある。 日常会話の中と同様、学問の世界でも「客観的」という価値基準の権威は激しく失墜している。 こので主張されている「構造構成主義」とその中のキーワードの一つである「関心相関性」という概念。どちらも、質的に多義性を含んでいて、いろいろな説明の仕方があるが、私としては「客観性という価値からの戦略的撤退」と位置づけたい。 「構造構成主義」は、現代

    汎用のブログ間対話プロトコルとしての「関心相関性」 - アンカテ(Uncategorizable Blog)
  • ハイハイ大人大人

    なんかこう、コミュニケーションが?とか空気が?大人として?とか色々一見もっともな理由をつけてなんとかなんらかの(滅茶苦茶どうでもいい)「会」に出席させようとする奴当嫌になる。つうかなんでそこまでして出席させたいのか分からん。重要ならともかくそういうこと言ってる奴の会って愚痴とかそういうのばっかの滅茶苦茶無駄でどうでもいい会じゃん。別に出ない奴が好きとか君と話したいだとかそういうポジティブな理由でもないわけで(それならそう言やいいんだから)。結局さーあれだろ。「俺/私はわざわざ出てるのに、お前だけ逃れるだなんて許さない」ってとこなんだろ。なのに、なまじ自分が断る勇気はないもんだから、出ないことを選択できるやつが妬ましくて、「大人じゃない」「コミュニケーションが」「空気読んで」とかそういう事いって貶めて満足する。そんな事して誰が幸せになるのだか。お前もこっちも皆不幸せになる。ちっぽけなプライ

    ハイハイ大人大人