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2008年2月25日のブックマーク (2件)

  • 世界樹と迷宮。生きながら北極に葬られ。(ラジオの感想など) - 原野商法1997

    『世界樹の迷宮2』がバイト先に3入ってきた。が、一も売れていない。自分の生きている場所が、地の果てであることぐらいは覚悟していたが、ここまで売れていないと中々に切ない。相方のガキに「世界樹の迷宮ってしってるか?」と聞く。案の定「知らないっすね」と返される。よせばいいのに「ネットじゃ有名だぜ」と言ってしまう。さて、と。どうしたもんかね、自分よ。 バイト先は自分の好きなCDをかけられるので、ジャニスジョプリンのCDをよく聴く。洋楽には全く疎いし、調べる気も起こらないので、彼女の事はぶっちゃけ何も知らない。ただ、福田和也『南部の慰安』のタイトルは彼女の愛したリキュールからきているものであることから、興味を持った。それと確か西原理恵子が彼女のコスプレをしてたんだっけ?無頼ってイメージを先行させて聴きはじめたら、素晴らしい歌手であることを知った。 『メルセデスベンツ』って歌が好きだ。「働いてもつ

    世界樹と迷宮。生きながら北極に葬られ。(ラジオの感想など) - 原野商法1997
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/02/25
    『上手くやってるやつのケツを本気で舐めれば、それなりのラインまでいく。でもケツを舐めるのは嫌だ。無論、ヤンキーなんて駄目だ。ああ、勿論死にたくなんてないさ。なんか良い方法はないですかね。』
  • Socius_社会学感覚08自我論/アイデンティティ論

    8 自我論/アイデンティティ論 8−1 「わたくしといふ現象」 『春と修羅』序詩に学ぶ 社会のなかの人間について考えてみたい。つまり「われわれはいったい何者なのか」「わたしはだれ?」「わたしはなぜわたしなのか」という根源的な問いについてである。いうまでもなく、これは哲学・思想・宗教・文学などで追求されてきた問題だ。社会学では、この問題群を「自我論」もしくは「アイデンティティ論」と呼ぶ。社会学の議論は、もちろん哲学や文学などでなされてきた議論と無関係ではありえず、むしろそれらと呼応するものである。そこで、ここでは見田宗介にならって宮沢賢治の思索からこの問題領域へ分け入ることにしたい▼1。 一九二四年に自費出版された『春と修羅』という詩集――賢治はこれを「心象スケッチ」と呼んでいた――の冒頭に「序」という名の詩がおかれている。これは詩集のために新たに書かれた序文のようなものであり、通称「序詩」