田中 六助(たなか ろくすけ、1923年1月23日 - 1985年1月31日)は、日本の政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 内閣官房長官、通商産業大臣、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長、衆議院議員(8期)を歴任した。息子に東京医科歯科大学学長の田中雄二郎[1]。 来歴・人物[編集] 生い立ち[編集] 福岡県田川郡上野村(現:福智町)に布団屋の三男として生まれる。生まれたときは七ヶ月の未熟児で、何とか丈夫に育って欲しいという両親の願いから、英彦山神社の近くに住み、豊臣秀吉の前で相撲の35人抜きをしたと伝えられる豪傑「毛谷村六助(けやむら・ろくすけ)」の名にあやかって命名された。 田中の郷里、田川は五木寛之の「青春の門」で描写されたように、筑豊炭田で有名な炭鉱町で、ここを流れる遠賀川沿いに住む人を「川筋者(かわすじもの)」といい、侠客めいた気性で知られるが、田中自身も典型的な川筋者として