私は「社会人」という言葉が嫌いだ。 というのも、この言葉が指し示しているのは日本人男性の正社員だけであって、学生やフリーター、専業主婦……この世界に生きる多様な人々を「社会」から排除しているからだ。言うまでもなく、学生も、フリーターも、家事手伝いのニートも、この社会を構成する一員である。英語には「社会人」を意味する単語がないらしい。他の言語ではどうだろう。日本の社会のいびつさに基づいた、日本語独特の表現ではなかろうか。 少なくとも私は、「社会人」という言葉を得意げに振り回す人を信用していない。むしろ、ちょっと軽蔑している。 「社会人としての心がまえを持て!」 「社会人らしくふるまえ!」 ……みたいな威勢のいいセリフを耳にすると、失笑を禁じ得ない。あまりにも幼稚なセリフだからだ。 そして、それは必要な幼稚さでもある。 この社会にうまく適応するためには、他人の言葉を鵜呑みにする幼稚さが必須だ。
親が大富豪であるとか、配偶者が自分を養ってくれるなどの特殊事情が無い限り、基本的に人は働いて、お金を稼がなければならない。つまり、職業を選択しなくてはならない。多くの人は、大学を卒業する段階になって、この現実に直面し、自分の「やりたいこと」は何なのか、と悩みだす。自己分析と称して自分史年表のようなものまで作成して、「自分がやりたい仕事」を精一杯さがそうとする。 これで、自分がやりたい仕事がぴったり見つかるという人は、別にそれでもいいと思う。それは幸せなことである。しかし、そんなに簡単に自分のやりたい仕事はぴったりと見つからないのが現実だ。そもそも、自分が本当に「やりたい」ものであれば、自己分析などするまでもなくやりたいと感じるはずだし、もう既に行動に移しているはずである。 仮に、自己分析の結果「やりたいこと」がぴったり見つかったとしても、それが職業になるとは限らない。例えば、「一日中、家で
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