ブックマーク / chuokoron.jp (1)

  • (3ページ目)千葉雅也「失われた時を求めて」を求めて|文化|中央公論.jp

    失われた「時間」 ジル・ドゥルーズは一九九〇年代に、管理社会化の進展に警鐘を鳴らしていた。かつては強力な権力機構による自由の制限が問題だったが、それより日常的にソフトなやり方で作動する平常点管理のような権力の方がずっと息苦しいだろうという懸念。我々は今、このドゥルーズの懸念がまさに実現された状態を生きている。そして、この状態は九〇年代から二〇〇〇年代にかけての変化以後なのであり、それ以前には別の世界─というか僕の世代からすればそれが「来」の世界なのだが─があったということがますます忘れられている。それはあたかも、マスクをしないでも人と会えて、すし詰めのライブ会場で叫びを上げるのが普通だった時代が忘れられつつあるかのごとくだ。 強く言えば、人間が個人ではなくなる方向に向かっている。個人的であること自体が悪だというかたちで、伝統的な悪の問題が今日再発見されている。公共的存在として生きるのが善

    (3ページ目)千葉雅也「失われた時を求めて」を求めて|文化|中央公論.jp
    db_lf09
    db_lf09 2021/05/15
    "意志のコントロールから逃れる時間、反省してもしきれない時間を、払拭しようとしないこと。  時間のリアリティをどう今実感するかということが、人間におけるささやかな悪しき習慣を擁護するということと深く関わ
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