矢野隼人の名を記憶に留めている人はどれほどいるだろうか。 1998年、帝京の超高校級ストライカーとして注目を集め、全国高校サッカー選手権大会で準優勝。1999年、高3で日本サッカー協会強化指定選手(現JFA・Jリーグ特別指定選手)となり、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)でJリーグデビュー。2000年、V川崎に加入し、いきなり9番のユニフォームを渡された。 海外サッカーがいまよりずっと強い憧れとロマンをもって語られていた時代、そこかしこに何人もの和製〇〇が生まれた。矢野はその風貌とプレースタイルからブラジル代表の怪物ストライカーであるロナウドに喩えられ、盛んにメディアで取り上げられた。 ほとんどはうたかたの夢と消え、矢野もまたそのひとりとなる。 Jリーグ通算11試合0得点。2002年、東京Vで現役引退を決めた矢野が残した足跡のすべてだった。 「刈谷から全国で通用する選手を」 以降、矢野の歩
![和製ロナウド矢野隼人の引退後10年。自らの挫折を伝えるS級指導者に。(海江田哲朗)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/85913d6ac6a73da309828ca324e513fa0b775209/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fa%2F4%2F-%2Fimg_a469b51b2dcc6f1098c5b7ea832b38f065487.jpg)