MSX研究所長 @yoshimatsuTUQ うちの父が松屋の食券機が分からなくて店員を呼んだ、という話を聞いて「PC-8001を1979年に買ったほどの父もとうとう…」とか思ったが、その後自分も松屋の食券機で目当ての物が買えなくて一度逃げたので父を責められなくなりました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221201/k10013910251000.html 「エスカレーターを本当に歩かせたくないなら、歩けないようなUIにすべき」 エスカレータ事故のブコメに必ずこういう人湧くんだけど、それって技術的に可能なの?そこまで考えて書くべきでは? チェスタートンのフェンスじゃないけど、技術的になんとかできるなら、既に何とかしてるはずで、できてないのはそれなりに理由があると思うんよね。 技術的な限界+輸送力の問題で今の状態になってるんじゃないの? 速度を上げると乗るときに危険だし、 段差を高くすると、乗り切れなくて足を踏み外したときの転倒リスクが上がる 人が一列になるように幅を狭めるのは、技術的にはできるけど輸送力が落ちて駅の導線に問題が出る。環境負荷も高いだろう ステップの構造を変え
何かよく分からないものは「アート」 定義されない場所を減らしたい 隠された「排除」の意図に気づくと… 都市の駅のスペースにあるデコボコした突起のようなオブジェ、公園や路上では仕切りのあるベンチが当たり前になってきています。ホームレスが寝そべったり滞在したりしないよう〝排除〟する「排除アート」「排除ベンチ」とも言われます。建築史家の五十嵐太郎さんは、「公共空間に誰かが滞在する可能性をつぶすもの。そんな風に他者を排除していった都市は、誰にもやさしくない都市なのではないか」と指摘します。 排除アートが広まり始めたのは… オープン1年を迎える複合商業施設のミヤシタパークには、座面がメッシュ状になっていたり、腰かける部分が棒状のポールになったような座りづらいベンチがあります。 好意的に「アートがいっぱい」とメディアで紹介されることもありましたが、五十嵐さんは「アートの名のもと、排除の意図がカモフラー
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