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ブックマーク / koshohirakiya.blogspot.com (1)

  • 背中合わせのタンゴまたはアルゼンチンと日本の経済史を適当に比較する試みのつづき

    前回からの続き。 アルゼンチンは一八九〇年の恐慌から一八九四年に回復基調に乗る。 日は一八九九年に第一次恐慌にみまわれる。「第一次」とは後になって名づけられたもので、もちろんその次がある。続く一九〇〇年には第二次恐慌が起こる。 日政府は増税し、大蔵省・日銀はともに緊縮財政をとる。その年さらに北清事変(義和団事件)へと出兵。戦費調達のために三度目の増税をする。 一九〇三年からアルゼンチンは繁栄の時代へと入るが、日は一九〇四年に日露戰争、かろうじて勝ちはしたが経済は安定感を欠き、一九〇七年にはまたぞろ恐慌となる。 一九一四年第一次世界大戦が起き、金位制離脱など混乱はあったが、アルゼンチンは料輸出国として黒字を積み重ねた。大戦中に金準備率を63.5%から78.4%に増やし、一九二〇年の段階で世界二位となる。 で、一位がどこだったかというと日である(86.6%)。日も一次大戦で火事場

    背中合わせのタンゴまたはアルゼンチンと日本の経済史を適当に比較する試みのつづき
    death6coin
    death6coin 2023/11/20
    “アルゼンチンは食料輸出国として黒字を積み重ねた。大戦中に金準備率を63.5%から78.4%に増やし、一九二〇年の段階で世界二位となる。 で、一位がどこだったかというと日本”オランダも儲けたはず
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