一人目、二人目の子がお空に逝ってしまった時に住んでいた家の近くには有名なお寺があり、水子供養の立派なお地蔵様がいた。 それはそれは綺麗で優しい顔のお地蔵さんだ。 カタチとしてこの世に残らなかった我が子にはもちろんお墓がない。 それがなんとなくモヤモヤした気持ちを抱える一つの要因になっていた。 当時、まだあまり引きずらずに早く忘れた方がいいという考えであった両親は、 「水子供養なんて気持ちを縛りつけるような事はしない方が良いのでは?言葉は悪いけどまだカタチにならずに流れてしまったんだから」 と言っていた。 きっと、私の心があまりにも執着する事を止めたくて出た言葉だったのだろうと思う。なので水子供養をしてもらう事はしなかった。 それでも、このお腹に宿り現世という所へ一度は降りてきた命をカタチがなく亡くなってしまったからといって記憶の中だけで思い出したり慈しんだり時には会いに行ったりというのはな