岩波書店が文庫本などに挟んでいるしおりで、「『広辞苑』を散歩する」と題した短文を載せたものがあるが、その中の一つで「無洗米」を取り上げている。「広辞苑」の第六版であらたに収録された言葉である。 無洗米 米の売場では割合にして四分の一程度を占めるだろうか。元来、米は洗うのではない、研(と)ぐものだと言い聞かされてきたが、「無研米」ならぬ「無洗米」が『広辞苑』の項目に加わった。「洗う必要のない」という表現は、「研ぐ」という意識が薄れたことを示すともいえる。立体的な「ネイル-アート」を施した女性たちも、無洗米の愛用者だろうか。 これについて、「酷い」とだけ評してツイートしたのだが、そこそこの反響を呼んでいる。 ただ、その反応の中には僕の想定とまるっきり逆のものがあったり、また逆じゃなくともその内容にはちょっと賛同しかねるものがあったりするので、あらためて僕の考えをまとめておきたい。 まず僕が引っ