誤解の最たるものは福澤諭吉の言葉だろう。『学問のすすめ』は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」との言葉から始まることは余りに有名だ。この一節を覚えただけで、福澤諭吉は単純な平等論者であったと結論付ける人たちが結構存在するのである。だが、福澤は『学問のすすめ』で単純に平等を説いたのではない。元来、平等に生まれた人間の中で差が生じるのは、畢竟(ひっきょう)、学問の差であり、それゆえに学問を為さねばならぬと説いたのだ。 これほど極端な誤解はされていないが、思想家の思想の一部分だけが切り取られて理解されていることは多い。例えば、アダム・スミスと聞けば、主著は『国富論』であり、その思想内容は「神の見えざる手」によって、市場経済の万能性を説いたかのように思い込んでいる人も多いのではないだろうか。それぞれが我欲を追求しても、結果的には神が調和をもたらしてくれる。したがって、公益の追求ではなく、我
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