今日の東京10R奥多摩S。 ゴール前で前脚を骨折、予後不良で安楽死の措置をとられ、シゲルスダチは天国へ旅立ちました。 僕と最後に走ったのが奇しくも昨年のこのレース。そして僕は今日それをスタンドの上からラジオで解説をしていました。...
![後藤浩輝](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/807fe66c8fd8fed22a313736d04e9d6732059b7c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fscontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net%2Fv%2Ft1.18169-9%2F10409027_793813347344402_528842855496425018_n.jpg%3F_nc_cat%3D103%26ccb%3D1-7%26_nc_sid%3D295ae4%26_nc_ohc%3DwrPjKzfLEVUQ7kNvgH3Kgw2%26_nc_ht%3Dscontent-nrt1-1.xx%26oh%3D00_AYDXvmDzRGRmVb23oTCXmw6H0HPRy9Bi8oJeElNgmIrOjg%26oe%3D66C58A94)
今日の東京10R奥多摩S。 ゴール前で前脚を骨折、予後不良で安楽死の措置をとられ、シゲルスダチは天国へ旅立ちました。 僕と最後に走ったのが奇しくも昨年のこのレース。そして僕は今日それをスタンドの上からラジオで解説をしていました。...
見事にプリンシパルSを快勝してくれたサイレンス。 改めて、本当に凄い馬だと痛感させられた瞬間でもあった。 それと同時に、先生の考えていた事、 先生の方針も間違っていなかった事を改めて感じた。 それだけサイレンスは凄い馬だった。 そして、いよいよダービーに向けて調整を続けていく訳なのだが、 丁度この頃から、 それまで毎日サイレンスに跨がってきた調教に乗らなくなってしまった。 なんでかって? たぶん先生は、ダービーに向けて悔いの無い調教をしたかったんだと思う。 確かにダービーは、 その馬達にとっては一生に一度出れるか出られないかの、 サラブレッドに生まれてきたからには頂点とも言えるべき舞台。 だからこそ、悔いの無い調教をしたかったんだと思う。 その思いは、言うまでも無く伝わってきた。 俺は、それまでサイレンスの追い切りは、 絶対に目一杯の時計を出す事はして来なかった。 それは、前述までに何度も
3戦目を圧勝したものの皐月賞には間に合わず、 照準をダービーに切り替え、 トライアルの青葉賞を目指す事になったサイレンススズカ。 まだまだ課題を沢山残しながらも慎重に調教を積んでいったのだが、 青葉賞のレースの週の火曜日、 思いもよらない事態に陥った。 朝、厩舎に行くとサイレンスの脚が腫れていた。 俺も、先生も、厩舎のスタッフも、みんなが青覚めた。 そして、予定していた青葉賞も、 この時点で断念せざるをえなかった。 診断の結果、幸い軽傷で、 「何日か休ませれば、腫れも治まるのでは」 との、獣医の診断だった。 この時、俺も相当心配したが、軽い症状との事で少しは安心した。 当然、この時はすでに次のレースの事などは一切頭に無く、 1日でも早い脚の回復を祈るのみであった。 そして、1週間ほど厩舎の周りを歩くだけの運動にして様子を見た。 その甲斐あってか、翌週の火曜日から調教を再開する事が出来た。
サイレンススズカと最初に出会ったのは、 俺が海外修行から帰ってきて初日の調教だった。 この馬は、橋田先生が俺の 「久しぶりの日本での復帰戦に」 と、わざわざ温めて置いてくれた馬で、 俺の帰国する少し前に入厩させて、 調教開始のその日から、 ずっとほぼ毎日俺が調教していた。 最初の第一印象は、 馬体は少し小さいけどもの凄く柔らかくて、 ゴムマリの塊というか、 もの凄くバネの効いた走りをする馬だなぁっていう印象。 調教を何日かしたところで、 初めて坂路で軽く速いところをやった。 55~56秒位やったかなぁ? その時初めてこの馬の本当の凄さを知った。 スピードを上げるにつれフォームが沈んでゆく。 そして「いつでも弾けるぞ」と言わんばかりに、 軽々と坂を駆け上がりゴールした。 そしてサイレンスは息ひとつ乱れず、 何事もなかった様に落ち着き歩きだした。 当然まだまだ余裕で、 俺もそれまで体験した事の
学校ブログの方にある、「菊の季節にサクラが満開。」の菊花賞。 実はこのとき、大西先生も騎乗していたのです! 第48回菊花賞(GI) (1987年11月8日(日) 5回京都2日 15:35発走) 1 サクラスターオー 牡4 東 信二 2 ゴールドシチー 牡4 河内 洋 3 ユーワジェームス 牡4 安田 富男 4 メグロアサヒ 牡4 飯田 明弘 5 サニースワロー 牡4 大西 直宏 「僕が生涯で唯一騎乗した菊花賞だよ。」 10年後の1997年にサニーブライアンで皐月賞・ダービーの2冠を手にした大西先生。 残念ながら骨折で三冠が懸かった菊花賞には出走できませんでした。そして屈腱炎のためそのまま引退。 競馬に「たられば」は禁句ですが、もしかして…と思わずにはいられません。 そういえば、このときの騎乗馬サニースワロー。 サニーブライアンの母サニースイフトの全兄(父と母が同じ兄妹)
ブルーコンコルドが引退、ただし種牡馬としての引き取り手はなく、今後は乗馬になるとのこと。 まー、色々読んでると「G1をあんなに勝ったのに酷い話だ」という意見ばっかり目にするんだけれど、俺はまったく逆なんだよなぁ。この件については、馬産関係者が異常だとも悪いとも別に思わない。だって、このご時世だもの、スタリオンステーションだって明らかに需要のない種馬を飼い続けるわけにいかないでしょう。 日本ではダート、特に地方競馬でしか活躍していない牡馬に種馬としての需要はほとんどない。そういうもの。有馬記念と南部杯、同じ「G1」としてカウントされることはあっても、扱いは天と地ほどの差がある。ジャパンカップダートと南部杯ですら大きな差があり、賞金額でも扱いでもG2の毎日王冠に劣っているんじゃないか? 叩かれることを覚悟であえて言うなら、俺はブルーコンコルドをG1馬だと思っていない。ブルーコンコルドはG1なん
どうも、こんばわ。一応今日でひと段落したのでこれから少しは更新が増えると思います。今日はセレクト当歳時から惚れてたトーセンファントムがしっかり勝ったようでよかったです。レース確認すると松国っぽい体になってしまいそうなのが少し心配かな。ま、それはそうと少し違う話題。 ・もう一度見てみたいレース(ノート的なもの) みんなどんどん記していけばいいと思うんですよ。すごい共感するとか、すごいわかるとか、あるいはみんなと共感したいとか、そういうんじゃないんですけど、自分には自分の、その馬やレースについての記憶とか思い出みたいなものがあって、それがフワぁっと出てくるじゃないですか。 さて、これを読んだときに俺にとってはどんなんがあるかなーと考えたとき、さっとでてきたのはメジロマックイーンやらヒシミラクルとか。でもそれはこのネタには合わないよね。で、個人的な感情やら、馬券やら、思い入れを考えてみて出てきた
2009-09-25 記憶の中の馬たち、いまいちど 感傷 追憶 競馬 みんなどんどん記していけばいいと思うんですよ。すごい共感するとか、すごいわかるとか、あるいはみんなと共感したいとか、そういうんじゃないんですけど、自分には自分の、その馬やレースについての記憶とか思い出みたいなものがあって、それがフワぁっと… 2009-09-25 スポーツ経験のないおっさんは、ストレッチングで自転車ライフを満喫したい! 自転車 スポーツ 感想文 ザ・ストレッチング―初心者のための基本テクニックと練習法 (イラスト版プレイスポーツ)<監修>萱沼文子/<イラスト>成瀬数富 スポーツ人口の増加に伴い、アキレス腱を切ったりとか、テニス肘で痛くって、といった身体の故障を訴える人が多くなったと聞い… 2009-09-25 ゆるふわ自転車ガールの愛されメイク 自転車 メイクをしている場合、まずは丁寧なクレンジングが肝心
とりあえず2001年1月以降に中央重賞を勝った馬を対象 中央抹消済みの牡・セン馬のみ 「現状確認」欄の凡例 ☆:『引退名馬等のけい養展示』助成対象馬 ○:明記した繋養先での過去1年以内の生存情報が確認できた △:引退後の生存情報が確認できたが、情報が古い(1年以上前) ?:引退後の生存情報が確認できず ●:死亡が確認できた馬 死因が現役時代の事故によるものは「予後不良」 死因が現役時代の疾病によるものは「斃死」 引退後の死亡馬は基本的に最終繋養先の場所を表記 ※:輸出された馬 全てweb上の情報に基づく。ソースとなったサイトは http://www.uma-furusato.com/index.php 引退名馬 公益社団法人 日本馬術連盟 《Japan Equestrian Federation》・日本馬術連盟・日馬連・馬術連盟・公益社団法人 日本馬術連盟 その他各種webニュースサイトや
※この作品は、2009年の優駿エッセイ賞に応募し、落選したものです。つまりは駄作なので温かい目で見てやってください。 本編 第二回中山開催は春の訪れ、第四回中山開催は秋の訪れ、そして第五回中山開催は冬の訪れ。幼い頃から中山競馬場に近い環境で育ち、父に連れられて中山競馬場へと足を運ぶことが多かった私にとって、中山競馬の開幕とは季節の移り変わりを意味していた。 二〇〇七年の三月、第二回中山開幕週のこと。それが春の訪れを意味していたとはいえ、薄手のコートを抜けて寒さが感じられるような天候だった。メインレースは中山記念だったのだが、前年、前々年と中山記念を連覇中のバランスオブゲームの名前は、出馬表には載っていなかった。バランスオブゲームは一九九九年生まれの牡馬で、GII競走の勝利数記録という、地味な記録を塗り替えてしまった馬だ。彼は前年秋の天皇賞を前に怪我をして引退してしまったため、中山記念の三連
今、ブログ読んでて思い出した事があった! この間、グリーンチャンネルの番組で サイレンススズカの特集をするのに、 「僕に出て欲しい」 って依頼があった。 「それやったら俺より豊さんの方がええんちゃうの?」 って言うたんやけど、 何かどうしても俺に聞きたいらしく、 あんまり乗り気じゃあなかったんやけど、 インタビューを受けてきた。 なんで気が乗らんか? って言うと、 あの馬の事に関してはいろんな思いがたくさんあり過ぎて、 一言では言い表せなくて、その思いを上手く伝え切れないから。 今までサイレンスズカの事は、 いろんなところからオファーがあっていくつか喋ってきたけど、 なんかどれも上手く伝わってない。 俺が喋べるのが下手なんかなぁ まぁでも、今回のは、 かなりあの馬の事をこと細かく喋ってるので、 これまでの中でも多分、結構上手く伝わってて、 (あ~そうやったんか~) (あの時、そういう事考え
こんにちは。 今週の新潟競馬場は新潟2歳Sがメイン。 ところで新潟デビューのスーパーホースといえば シンボリルドルフの名がいちばんにあがります。 ちょっと信じられない話しなのですが、 彼は2歳の7月に新潟1000メートルで初陣を飾っています。 1000メートルの新馬でおろすというのは クラシックを視野に入れた使い方とはいえない。 馬は出走するレースが何メートルなのか理解しているわけではない。 だから最初にペースの速い1000メートルのレースを使うと、 馬がレースとはそういうものだと思い込んでしまう危険がある。 当時、野平祐二厩舎で調教助手を務めていた藤澤和雄師は ルドルフのデビュー戦をこう振りかえっています。 しかし、野平調教師もタダモノではありません。 岡部君、1000メートルの競馬だけれど、 1マイルの感じでいきましょう。 野平師からそういう指示を受けて、 そういう乗り方をしてきた岡部
前回のエントリに関連し、Medaglia d'Oroの日本語表記についてコメントを頂いた。語源=イタリア語で言えば「メダーリャドーロ」あたりが一番近いかなと思うが、アメリカ生まれで英語読みという意味では「メダグリアドーロ」にも不自然ではなかろう。 古くはSt.Simon(セントサイモンかサンシモンか)だったり、最近では*ピルサドスキーの表記を山野センセが厳しく批判したりと、この問題は論が尽きない。 そもそも、外国語の単語を日本語表記するという際にどうしても無理が出てしまうという側面はある。馬名でも英語のRとLの違いもカタカナでは区別できないし、フランス語の鼻に抜けるような発音だって表現のしようがない。ある程度の誤差的なモノは仕方ないかな、などといい加減な自分は思っているが。 とはいえ、そりゃないでしょという表記もたまにある。 代表的なのは種牡馬として活躍していた*スマコバクリーク。 スマコ
“二人三脚”で歩んだダービーへの道のり―アントニオバローズとシェーンヴァルト― ダービーの日にはお昼休みにジョッキー紹介などのセレモニーがあります 東西合わせて161人のジョッキーの中でダービーに騎乗できるのは18人だけ レースが終わって検量室に引き揚げてきたアントニオバローズ 菊花賞での巻き返しへ力を込める北村友ジョッキー 先月31日に行われた日本ダービーで優勝したのはロジユニヴァース。皐月賞14着からの大逆転劇に関係者の熱い思いが伝わってきましたが、ほかにも毎日の調教で会話しながら絆を深くして挑んだ人馬がいました。 アントニオバローズはデビュー前に初めてまたがった角田晃一ジョッキーが「この馬でダービーに行く」とその背中にほれ込んだ馬でした。ただ、見栄えする馬体とは対照的に気性が幼く、新馬戦(2着)では何度も物見をしてラチに激突。その後、3か月の休養を経て栗東に戻ってきた時から、精神面を
「しかし考えてみれば、われわれはみんな哀れである」 (グレアム・グリーン「第三の男」のお終い) つまるところ、私が好きなお話はこのようなものであって、善−悪や勝者−敗者のお話ではない。たまたま居合わせた敗者と敗者の物語、相米慎二の「ラブホテル」や三隅研次「座頭市物語」がそうであるように。 以下は競馬に関する記述であるが、G1馬なんて出てきやしない。私におかしな夢を見させてくれた競走馬のことを、忘れないうちに記しておく。ただそれだけである。 サンデーブランチ 有馬記念前の追い切りで熊沢が落馬したのだが、サンスポに「調教で落馬した熊沢は買い」のジングスが書かれており、私は自信を持ってサンデーブランチを買ったのであるが、重賞未勝利の馬がそんなジンクスごときで有馬記念を勝てるはずがないじゃないか。 センターフレッシュ 角田がダービージョッキーになる日を夢見ていた私は、21世紀など待ってはいられずに
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