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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (2)

  • 告白の代償(3) - jun-jun1965の日記

    それから三年の月日が流れ、私も三冊目のでようやく浮かび上がることができたが、湯沢夏生とは、何となく疎遠になっていた。夏生は「フェミニスト」だったし、私は次第に、非学問的でプロパガンダめいたフェミニズムに対して批判的になっていたから、避けられないことだったかもしれない。 私は例の酒乱の同僚との関係が悪化して、翌年の三月で阪大を辞めることにしていた、その十二月に、「ジェンダー・フリーを考える若者の会」とかいう、大学内のちょっとした政治的集団の依頼で、シンポジウムに出ることになった。コーディネイトしていたのは、人間科学部の助手の進藤良太だった。進藤は私の研究室を訪ねて来て、その概要を話した。それは、最近の若い人はフェミニズムに関心を持たなくなっているようだがそれはなぜか、という論題だった。司会は教授の伊藤公雄がやるらしく、伊藤は近年「男性学」というものを提唱し始めていて、しかしそれはフェミニズ

    告白の代償(3) - jun-jun1965の日記
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/09/27
    『作者以外の現実には触れていいのだ、と。』テクスト論について。
  • 死の絶対性 - jun-jun1965の日記

    (下書きにはタイトルの欄があるのだが、アップした時にタイトルにならないから、書いておいても無駄だと気づいた) http://blog.goo.ne.jp/ayakashi1154/e/195334f067cded01ed5ca970d9cce58b 田中貴子が切れているからご注意、と稲賀さんから葉書をもらったところだった。たぶん私のことだろう。(××さんだそうだが、まあそれはいい) 面識もない人にいちいち「亡くなった」などと書く偽善が、私は嫌いである。むろん、その作家が好きだったとかいうならいいけれど、どうせその人のことを碌に知らないニュースキャスターあたりが「ご冥福をお祈りします」などと言うのを聞くとムカムカする(まあ最近はニュース番組など見ないけれど)。 私が、他人の死をめぐる偽善ときっぱり手を切ったある事件については、「ミゼラブル・ハイスクール1978」に書いてある(なお、これは単行

    死の絶対性 - jun-jun1965の日記
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