それから三年の月日が流れ、私も三冊目の本でようやく浮かび上がることができたが、湯沢夏生とは、何となく疎遠になっていた。夏生は「フェミニスト」だったし、私は次第に、非学問的でプロパガンダめいたフェミニズムに対して批判的になっていたから、避けられないことだったかもしれない。 私は例の酒乱の同僚との関係が悪化して、翌年の三月で阪大を辞めることにしていた、その十二月に、「ジェンダー・フリーを考える若者の会」とかいう、大学内のちょっとした政治的集団の依頼で、シンポジウムに出ることになった。コーディネイトしていたのは、人間科学部の助手の進藤良太だった。進藤は私の研究室を訪ねて来て、その概要を話した。それは、最近の若い人はフェミニズムに関心を持たなくなっているようだがそれはなぜか、という論題だった。司会は教授の伊藤公雄がやるらしく、伊藤は近年「男性学」というものを提唱し始めていて、しかしそれはフェミニズ