いつもしあわせでいようと思った話をします。 昨日本当は幸せになるのが恐い自分に気づいてしまった件という記事を書いて、その中で自分はいつまでも「しあわせになりたい」とかアホみたいなことを言いながら口を開けてそんな日が来るのを待っているのではなく、もっと自分からなにが自分にとってのしあわせなのか見つめるべきなんじゃないのか、そしてその具体的なしあわせの内容を実現すべく生きるべきなんじゃないのか、みたいな話をしてどうしようもなくチキンな自分を震え上がらせたりしたのだけど、なんか一晩ぐっすり寝て起きたらそんなに深刻に考えることでもないような気がしてきた(と言ってまた逃げる言い訳を考えた)。 バカで説明が下手くそすぎるので、無理に説明しようとしてもむだに長くなってわけわかめになるだけなので、今回は簡単な図を書いて説明してみようと思う。というわけでがんばって書いてみました。 昨日の僕の考えではしあわせ
最近憂鬱で寝てばかりいる。 いや、もともとそういう人間で何年もずっと憂鬱で寝てばかりいたんだけど、逆に最近もうちょっとなんとかしなきゃなって思って自分なりにこれでもがんばろうとしてみたんだけど、なにをどうがんばればいいのかさっぱりわからない自分に気づいて憂鬱で結局寝てばかりいるのだった。 なんのために生まれて なにをして生きるのか 人生の9割が親で決まるんだったら僕は今すぐ自殺するの記事で僕はまだ死にたくない、生きていたい、しあわせになりたい、しあわせになることをあきらめられないということを書いた。 多分この気持ちに嘘や偽りはないし、「何のために生きているのか」と聞かれたら僕は「しあわせになるため」と答えるだろう。 でもじゃあ「どうやってしあわせになるのか」というある意味で一番肝心な部分が、僕にはすっぽりと欠落してしまっているのだった。 先日アンパンマンの作者のやなせたかしさんが亡くなられ
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