国際的な事故評価尺度で最悪の「レベル7」とされた福島第1原発事故から間もなく3年。事故の爪痕が残る現場では、汚染水対策や廃炉へ向けた懸命な作業が続く。巨額の国費を投じてもなお、難題が立ちはだかり、収束への道のりは長く、険しい。東京電力が日本記者クラブ加盟の報道機関に公開した“戦場”の今を報告する。 1月16日早朝、記者を乗せたバスは福島県いわき市を出発し、国道6号を北上。原則立ち入りが制限され、人がいないことが日常となった区域を進む。人の営みを断ち切る原子力災害の「静かな惨状」を目の当たりにし、第1原発に到着した。 入念な身分確認と金属探知機によるチェックを受けて構内に入る。取材は免震重要棟の一部を除き車内からに制限され、撮影は「核物質防護の観点」(東電)から代表者に限られた。 マスク、手袋、靴カバーを装着して足を踏み入れた免震重要棟で、白のつなぎの防護服を着た作業員とすれ違う。フー