ブックマーク / note.com/segawashin (3)

  • PCRはなにをわれわれにもたらしてくれるのだろうか?|瀬川深 segawashin

    新型コロナウイルス感染症(以下COVID-19と略記)は現在なお全世界で猖獗を極めており、一部の国や地域を除いてなお収束する様子を見せていない。残念なことに、邦でも。その一日も早い終息を祈るのは言うまでもないことだが、稿ではCOVID-19をめぐるひとつの奇妙な争点について現在思うことを書いておこうと思う。 PCRについてである。 現在、新型コロナウイルスを検出する有力な手段として全世界で行われている手法だが、なぜか邦では「過剰なPCRをすべきではない」という論が根強く語られている。各国事情を網羅しているわけでもないが、このような論調がドミナントである国は、少なくともいわゆる先進国の中では珍しいのではないかと思う。しかも奇妙なことに、まだ国内的にはCOVID-19の流行が顕著でもなかった2月上旬ごろにはすでにこのような論が語られはじめ、今に至るまでその傾向は続いている。 筆者個人とし

    PCRはなにをわれわれにもたらしてくれるのだろうか?|瀬川深 segawashin
    deztecjp
    deztecjp 2020/05/08
    無症状なら陽性でも隔離「しない」、軽症者も症状が治り次第帰宅、という前提を共有できるなら支持。偽陽性の弊害に対する認識に大きな温度差を感じる。見ている方面、価値観の違いといえばそれまでだが。
  • 愛知トリエンナーレと「表現の不自由展」に行ってきた|瀬川深 segawashin

    愛知トリエンナーレ内の展示企画「表現の不自由展」に行ってきた。 当初この企画のことを知ったとき、「これは大変なバッシングに晒されるだろうな」と思ったものだが、事実その通りになった。「早晩中止になるかも知れないから見に行くなら今だ」と思い定め、無理矢理予定を半日空けて名古屋まで出向いたが、その夜、脅迫に晒されてこの展示の中止が決まったことを知って予感は的中した。 なんというか、膝から崩れるような落胆を感じはしたが、驚きはなかったし、奇妙なことに憤る感情もなかった。それは、この炎天下に何日も放置していた鍋を空けてみたら予想通りにドロドロに腐りきっていてもはや手の付けようもなかったのと同じようなもので、予想通りと言うよりは予定通り、この日社会がもう取り返しが付かないぐらいにダメになってしまっていることを知らされたというよりも再確認させられただけのことだからなのだろう。 ともあれ、落胆を通り過ぎ

    愛知トリエンナーレと「表現の不自由展」に行ってきた|瀬川深 segawashin
    deztecjp
    deztecjp 2019/08/08
    瀬川さんから見てもやり過ぎなように思えた箇所は露骨に言及を控える、というのもまあ、ひとつの見識なんだろうけど、そうやって都合の悪い部分を切り離してこういう論が素直に成り立つのかは、疑問なしとしない。
  • その表現は誰かに労力をアウトソーシングしていないだろうか?|瀬川深 segawashin

    幼児向けの乗り物の絵に20ページ中6ページにわたって自衛隊の車両が掲載されていることが問題視され、当該書籍の増刷が中止されるという事件があった。 https://this.kiji.is/526697181804217441 そもそもの前提として出版社にはこういった書籍を出版する自由があり、消費者には抗議する自由がある。結果として増刷の中止という判断を出版社側が下すのもまた自由……というかこれは経営の裁量の範囲であろうから、実のところ、この件について特に付け加えることはない。じっさいこれに類する事件はこれまでに何度も繰り返されてきたし、それへの反応もおおむね既視感のあるものだ。 にもかかわらず、件ならびに類似する事件においてはいつもあまり語られることのない論点があると感じていたので、これを機にきちんと思うところをまとめてみる。なによりこれは、表現することについて考える上で典型的な問題で

    その表現は誰かに労力をアウトソーシングしていないだろうか?|瀬川深 segawashin
    deztecjp
    deztecjp 2019/07/27
    「いろいろな本があって、内容を確認して、選んで買う」くらいのことを面倒くさがり、「どれを選んでも自分に不都合ない」ように規制をしたがる消費者というのは、なるほど自由経済・社会の「敵」であるわけだ。
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