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ブックマーク / kizuki39.blog99.fc2.com (1)

  • まなざしのふりをした接近としての暴力|首吊り芸人は首を吊らない。

    10月28日(月) 会社にいった。 モスバーガーにいって小説を書いた。 10月29日(火) 会社にいった。 家に帰って小説を書いた。 石原千秋の文芸時評(11月号)「はちゃめちゃ系の功罪」で、いやだな、とわたしが思ったのは、小説というものがそのひとのなかだけで読まれてしまうことだった。たとえば、名前をつける、という行為には不安定さ、わからなさを解消しようという意志がふくまれているように思う。けれど、問題はわたしたちがそれに名前をつけ、それにレッテルをはりつけてしまうことじたいにあるのかもしれなくて、だからわたしはそれに名前をつけたくはないと思う。それに名前をつけ、それはこうだからこうだと思う、という現象はふつうにおきていて、わたしたちはそれを、理解する、と呼んだりしている。でも、その過程においてはすくなくともだれもなにも考えていない。ずっと書いていることだけれど、重要なことは理解することで

    dice_que
    dice_que 2013/11/04
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