タグ

2010年6月12日のブックマーク (4件)

  • コーヒーについて知っておいて損はない15の豆知識

    コーヒー好きなら大抵の人が知っていることから、コーヒーがないと生きていけないという人でもなかなか知らないのではないかと思われる意外な真実まで、コーヒーに関する豆知識を15個程度教えてくれるウェブコミックを紹介します。知らずに損をすることはない豆知識ばかりですが、知っていても損はなさそうです。 詳細は以下から。15 Things Worth Knowing About Coffee - The Oatmeal これがその「コーヒーについて知っておいて損はない15(くらい)の事柄」というタイトルのウェブコミック。1つめの豆知識は「すべては踊るヤギから始まった」というもの。 エチオピアの羊飼いたちは、コーヒーの実をべたヤギたちがはしゃぎまわって踊るのを見て初めてカフェインの効果に気付いたと言われています。 当初はコーヒーは飲み物ではなくべ物でした。アフリカの部族はコーヒーの実を脂肪と混ぜた「

    コーヒーについて知っておいて損はない15の豆知識
    diotojoutarou
    diotojoutarou 2010/06/12
    ドラゴンボールの元気玉はアフリカ部族からのパクリだったのか
  • 戦争の体験談を語るわ その1 無題のドキュメント

    4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/19(水) 13:02:19.57 ID:sViwJ6eP0 少し長くなるから、先に何が起きたから軽く書いておくね。 今から20年近く前の話だから、多少忘れてたり、間違ってたりするかもしれない。 そこは許して欲しい。 先に結論というか、書いておくけど。 今から話す内容に出てくる子がどうなったか、先に書いておく。 ソニアは殺された。 サニャは爆発に巻き込まれて死んじゃった。 メルヴィナはレイプされて連れ去られた。 メフメット・カマル・ミルコはわからない。 カミーユも死んでしまった。 ドラガンって子は、裏切ったと思っていたけど、実際は違った。 それじゃ、書いてくね。わからない事あったら聞いてください。 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/19(水) 13:04:37.75 ID:sV

    diotojoutarou
    diotojoutarou 2010/06/12
    韓国製オンラインFPSのLR攻撃無し部屋で、たった一人がルールを破っただけで次第にその部屋の秩序が乱さてゆくのと似ているな。ゲームならキルlogが出るけど、リアルなら敵の誰からやられたのかがわからない。
  • 戦争の体験談を語るわ 完結 無題のドキュメント

    38 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 22:34:20.67 ID:YjM.1pYo それから1ヶ月か2ヶ月ちょっとは、山の中で生活していたんだ。 フォーチャにはもう戻れないから、結構離れた山中で静かにしていたんだ。 幸運な事にさ、一緒に脱出した人の中に、ミジュヴィナからついてきてくれた 青年の一人が居て、薬とかを時々歩いて5時間くらいかけた所にあるらしい集落に 取りに行ってくれていたんだ。 39 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 22:40:05.25 ID:YjM.1pYo ただ、料は毎回のように貰いに行くわけにはいかなかった。 なぜなら、それで俺達の存在がスルツキの人々に知られてしまう可能性があったんだ。 だから、この山中での生活は、べ物が少なくて辛かった。 べられそうなものは何でもべたんだ。葉

    diotojoutarou
    diotojoutarou 2010/06/12
    憎しみは何も生まない、聞き慣れた言葉だったのにな。韓国とか日本に占領された国が未だに根に持ってる理由がわかった気がする。ネトウヨの人達も先人のそういった意思を受け継いでいるんだろうか。
  • ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編

    ボスニアはかつてユーゴスラピアといわれた国の一部です。第二次世界大戦後、スロベニア、 クロアチア、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという 6つの民族共和国がチトー元帥の率いる社会主義国家として一つの連連邦国に統一されました。 ところが1980年代後半に起きた東欧民主化の波をかぶる中で、バラバラの状態になり、 それぞれ独立していったのです。そして内戦の勃発。なかでも、とくに深刻だったのがボスニアでした。 ボスニアの民族構成がイスラム教徒であるモスレム人が4割、セルビア人が3割、クロアチア人が2割と、 ボスニアでは3つの民族の勢力が拮抗して同居していたからです。更に宗教の間題もありました。 独立を宣言したイスラム教徒と、それに反対するセルピア人との戦いが続き、 内戦は泥沼化していったのです。そして、その激戦地となったのがボスニアの首都サラエボでした。 サラエボ

    ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編
    diotojoutarou
    diotojoutarou 2010/06/12
    スナイパーストリート