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文学散歩に関するdiscoverekijiのブックマーク (5)

  • 富士山 - 夫婦写真散歩のススメ

    謹んで新年のお慶びを申し上げます。 昨年は多くの方々にお世話になりました。 ありがとうございます。 2013年(平成25年)、年の初めに、日を代表する山、「富士山」をお届けします。 富士河口湖から眺める日の出前 日最高峰の独立峰にして、その美しく、神々しい姿は数々の芸術作品に影響を与え、古くから神聖視され信仰の対象にもなってきました。 日文学史においても数多くの作品が残されています。 まずはお正月にふさわしく富士山を真正面から堂々ととらえた最初の作品を味わいます。 萬葉集に収められた山部赤人によって詠まれた有名な長歌、その反歌です。 山部赤人 万葉集巻の三(317) 題詞 山部宿祢赤人望不盡山歌一首[并短歌] 原文 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不

    富士山 - 夫婦写真散歩のススメ
  • 手児奈伝説、万葉歌人が歩いた「かつしか」歴史・文学散歩 - 夫婦写真散歩のススメ

    「かつしか」歴史・文学散歩 今回は「かつしか」歴史・文学散歩をテーマにご紹介します。 古代日において律令制国家が形成される過程で、令制国として編成された大国のひとつに下総国(しもうさのくに)がありました。 下総国葛飾郡 住み慣れ縁も深くなった我が家のある「かつしか」という地名はその下総国葛飾郡に存在し、現在に残ります。 下総国葛飾郡は現在の千葉県市川市を中心に、東は千葉県船橋市、西は隅田川東岸にある現在の葛飾区、墨田区、江東区。 南は千葉県浦安市、北は埼玉県北葛飾郡から茨城県古河市にまたがる、現代の行政区分とは異なり、広大な領地を有していました。 参考文献 古代末期の葛飾郡―葛飾区郷土と天文の博物館地域史フォーラム この行政単位は律令制国家の成立以後1,000年もの長い間、江戸時代末期まで続くことになります。 現在も「かつしか」という地名は東京都葛飾区だけでなく埼玉県北葛飾郡や千葉県旧東

    手児奈伝説、万葉歌人が歩いた「かつしか」歴史・文学散歩 - 夫婦写真散歩のススメ
  • 浅草寺駒形堂・鎮護堂・浅草神社(三社様) - 夫婦写真散歩のススメ

    前回に引き続き、江戸・東京随一の古刹「金龍山浅草寺」寺域を歩きます。 浅草寺ご尊示現の地「駒形堂」 浅草寺のご尊は隅田川から示現され…、という縁起は前回も詳述しましたが、まずはご尊示現の地、現在の駒形橋近くに立つ「駒形堂」からご紹介してまいりましょう。 寛永三名妓、高尾太夫の名句と「伊達騒動」の真実 「君はいま駒形あたりほととぎす」 これは吉原の花魁、高尾太夫が仙台藩主・伊達綱宗におくったと世俗に伝わった句です。 高尾太夫とは吉原のなかで最も有名な花魁で、その名にふさわしい遊女が現れると代々襲名された名前です。吉野太夫・夕霧太夫と共に三名妓(寛永三名妓)と呼ばれています。吉原三浦屋に伝わる大名跡でした。 世に名高い「伊達騒動」を題材にした読や芝居で伝わった高尾太夫と伊達綱宗公の有名なエピソードとは、陸奥仙台藩主・伊達綱宗の意=身請けに従わなかったために、高尾太夫が三叉の船中で惨殺さ

    浅草寺駒形堂・鎮護堂・浅草神社(三社様) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 翠雨の山寺・俳聖松尾芭蕉を悩ませた持病と「奥の細道」蝉論争(宝珠山立石寺) - 夫婦写真散歩のススメ

    初夏、色鮮やかな青葉をよりつややかに見せる雨を言い表す日語に「翠雨」「若葉雨」「緑雨」「青時雨」という言葉=雨の名前があります。 風や雨、空、雲、さまざまな自然現象に祈りを込めて、名前を付ける…そんな美しい日語を育んできた先人たちの繊細な感性ってほんとうに素晴らしい。 島国日の春夏秋冬=四季がある風土のなか、日古来の伝統文化、人々の暮らしを「農業」が支えつづけてきました。だからこそ、自然に対する畏敬の念を抱き、自然とともに生き、日人はさまざまな言葉を生み、育んできたのです。 日には農耕民族としての長い長い歴史があるのだと、雨の名前にも感じた初夏東北への旅の記憶から…。 今週のお題「雨の日をエンジョイ」に因んで、7年ぶりに記事を改め、エントリーします。 翠雨の山寺 今回は夏に降る雨の名前、文字通り「翠雨(すいう)」のなか、7月中旬、山形市にある立石寺(りっしゃくじ)=通称「山寺」

    翠雨の山寺・俳聖松尾芭蕉を悩ませた持病と「奥の細道」蝉論争(宝珠山立石寺) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 豊山神楽院長谷寺(奈良県桜井市) - 夫婦写真散歩のススメ

    豊山神楽院長谷寺文学散歩 奈良県桜井市初瀬、ここは古事記、日書紀を筆頭に夥しい数の文学作品にその名を刻む土地であります。 初瀬を流れる川は古くは神意を仰ぎ、「神河」と呼ばれていました。 また日最古の歌集である万葉集巻の一、冒頭の長歌、5世紀頃、雄略天皇、青年時代の御詠歌ともされる伝承歌謡に「泊瀬朝倉宮」という表記があります。 雄略天皇(418年?〜479年)が「泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)」を置いたとされるこの地に関して、さまざまな議論が存在しますが、まずは「萬葉集」最初の歌を一度虚心坦懐、ゆっくり味わってみてください。 萬葉集巻の一、冒頭の長歌:雄略天皇 原文 篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母 訓読 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち

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