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ブックマーク / yuiami.hatenablog.com (4)

  • 『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ - まとまり日記

    『現代思想』誌2021年10月号は「現代思想 2021年10月号 特集=進化論の現在 ―ポスト・ヒューマン時代の人類と地球の未来―」と題された特集だった。わたしはこの特集全体の企画意図に問題があると考えるので、手短に述べたい。 わたしの不満は一言で言うと「この号の中身は『進化論の現在』という題名と釣り合っていない、とくにこの題名で生物学の哲学の成果をほぼ無視するのは問題ではないか」ということだ。 まず前半からいこう。哲学・思想系の雑誌が「進化論の現在」という特集を組むときにどういうことを扱うべきか。もちろん決まったルールがあるわけではないが、次のようなトピックが扱われると考えるのが自然だろう: 進化論(進化生物学)の研究の現状 進化論の種々の側面についての哲学的論争の現状(たとえばやや古い話だがここで触れられているような議論) 進化論からの哲学研究へのインプリケーション(たとえば意識の進化

    『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ - まとまり日記
    dlit
    dlit 2021/10/20
  • 大学は今もレジャーランドか - まとまり日記

    よく今の大学はかつてのようなレジャーランドではないといわれる*1。ツイッターでは大学教員から、現在の大学は学生に対して面倒見がよくなり、よく勉強させるといわれる(ソース)。これはわたしの体感にも合致しているが、しかしきちんとしたデータを引いているところはあまり見たことがない。 これについて簡単に検索すると、大学生協連合会の調査のデータが見つかった。これによると、2012-17年で大学生の勉強時間は一日290分→302分に増えている。これは文系・理系・医歯薬系に関係ない。 しかしこれだと5年間の推移しかわからない。わたしの記憶によると、「大学=レジャーランド」論が出ていたのは80-90年代(ここに紹介のある竹内洋氏の言葉とも符合する)なので、そこからの推移が欲しい。 これに応じるのが社会生活基調査の統計である。これは五年ごとの調査で国民がどのような活動に時間を費やしているかが調べられている

    大学は今もレジャーランドか - まとまり日記
    dlit
    dlit 2021/06/22
  • なぜ・何を・どうやって科学者に科学哲学を教えるのか - まとまり日記

    という論文を読んだ(リンク)。著者はスウェーデンの科学哲学者で、科学哲学が科学者及びその卵である理系学生に貢献できる理由と方法について書いてある論文だ。 なぜ教えるのか 科学者やその卵である理系の学生にに科学哲学を教えるべき理由として、著者は方法論的な理由を強調する。科学者の養成過程で、学生はその科学の方法論についても学ぶ。しかし著者の見るところ、その方法論にはきちんとした正当化を欠いたまま教えられているものがあるという。著者の挙げるのは次のような例だ。 経済学では単純なモデルが尊ばれる。たとえばは著名なミクロ経済学の教科書の著者であるヴァリアンは「考えられうる限りで最も単純なモデルを書き付けて、それがなおなにかおもしろい振る舞いを見せているかチェックせよ。そしてもしそういう振る舞いを見せているなら、モデルをもっと単純にせよ」と述べる。しかし著者の見るところ、なぜ単純なモデルが優れているの

    なぜ・何を・どうやって科学者に科学哲学を教えるのか - まとまり日記
  • 科学哲学には何が期待されていて何ができていないのか - まとまり日記

    『ダーウィンと進化論の哲学 (科学哲学の展開)』について評論家の山形浩生さんから厳しい書評をいただいた(リンク)。 すでに他の方が指摘されている通り、あの書評には個々の論文について指摘された「問題点」について事実誤認や的はずれのところがある。他の論文についてその著者のかたに譲るとして、わたしの論文について言うと、やまがたさんの一つのポイントは議論が哲学的ではないということだ。 わたしにとってこれは意外な点だった。というのは論文の謝辞で示唆したとおり、あのプロジェクトは元々留学中のゼミで発表したものが素材になっており、それがああいった形で論文になるには仲間の哲学者からの「おまえこのプロジェクト面白いよ」という励ましが必要だったからである。また、前のエントリで紹介したように「哲学=別の手段による科学の継続」、つまり哲学は「自然についてのわれわれの知識の増大」という目標を科学と共有しているという

    科学哲学には何が期待されていて何ができていないのか - まとまり日記
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