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増田文学に関するdobonkaiのブックマーク (4)

  • 週末なのに早朝から隣の部屋で人の出入りが激しいな、と思いながら寝床の..

    週末なのに早朝から隣の部屋で人の出入りが激しいな、と思いながら寝床の中で物音を聞いていた。もうすぐ8時になるので、燃えるゴミを出さなくてはいけない。外の寒さを考えると出たくないが、今日を逃すと、次の回収日である水曜日まで生ゴミと同居するはめになる。 思い切って服を着て、ゴミ袋を持って外に出ると、隣の部屋のドアが大きく開け放たれており、作業服姿の男性3、4人がさかんに出入りしている。彼らは部屋から出てくるたびに大きく膨らんだゴミ袋を両手に持って、トラックの荷台に勢い良く放り上げる。荷台はもう半分以上ゴミ袋で埋まっている。トラックはもう1台待機している。 ゴミ置き場へ行く途中で隣の部屋を通り過ぎながら中を覗くと、うず高くさまざまなゴミが積もっており、床が見えない。これはだいぶかかりそうだな、という考えが浮かんだが、なにに時間がかかるのか、自分でもよくわかっていなかった。 ゴミを捨てて自室に戻ろ

    週末なのに早朝から隣の部屋で人の出入りが激しいな、と思いながら寝床の..
  • ビンの蓋の話を読んで、思い出したこと

    クリスタルガイザーの蓋もあけにくい。 量が多くて安いから愛飲していたけど、蓋を開けられなくていつも友人に開けてもらっていた。 大学受験のときも、同じノリでコンビニでクリスタルガイザーを買ってから受験会場に行ったのだけど、同じ大学を受ける友人なんていなくて喉が渇いたのに蓋をあけられなかった。 恥を忍んで通路を挟んで隣の席の男の子に蓋をあけてくれるよう頼んだ。彼は快諾してくれて、そんなに固くないよ?と笑いながらあけてくれた。 喉の渇きも潤い、万全の状態で試験に臨めたおかげで第一志望のその大学に合格した。入学すると、蓋をあけてくれた彼も、同じ学科にいた。 理系の学部学科だったので、女子は私を含めて三人しかいなかった。二人は、どうにも話しかけにくいタイプの子だった。 上京してきた友人もいなかったため、顔見知りがいることが嬉しくて、彼とよく話すようになった。 いつも、隣で必修科目を受けていた。彼は明

    ビンの蓋の話を読んで、思い出したこと
  • 増田むかしばなし 〜Nettouchi とわるいいぬ〜

    はてな王しなもんは二〇一三年の六月に死んだ。その後、ミニマリストの時代になった。物語の舞台はこの時代である。はてなダイアリーにもはてなブログにも長文を読み書きできる者が誰もいなくなった時代。終わりが近づいていた。当時のはてなでは、インターネットの終わりを待ち望む者と待ち望まない者がいた。一方は右翼、他方は左翼。ただし、両者は渾然一体としていた。彼らにも自分たちを見分けることはできなかった。なぜなら、インターネットの終わりは毎日毎秒ごとに訪れるから。それは、日が滅びる前のことだった。 アナニマスダイアリーと呼ばれる古いサービスがあった。そこに、増田という若い増田がいた。人は彼のことを増田と呼び慣わしていた。「名無し」を意味する古い言葉だと人は言う。彼は美しかった。彼の書いた記事はさして評判を呼ばなかったが、いつも寄り添うように一のブクマがついていた。Nettouochi は彼を愛していた

    増田むかしばなし 〜Nettouchi とわるいいぬ〜
  • 「ネヲチ界のケルベロス」と呼ばれたころのkanoseを知らない人間は

    幸せだ。 無垢そうなヨークシャー・テリアである彼をただ愛でていればいい。 でも私達は覚えている。 狂犬のひきつった嘲笑を。 血に塗れた牙の鈍光を。 昔は誰もが知っていたのに、今となってはもう存在すら忘れ去られてしまったidたちの断末魔を。 人は彼ははてな村の村長だと言う、あるいは長老だと言う。誰もが畏敬する。 なぜだ? ただ古参だというだけで、ただ居座った、意地汚く居残ったというだけでそこまで? 間違えるな。彼は居座ったのでも居残ったのでもない。 「生き残った」のだ。 かつて、はてなは戦場だった。今となってはもう語るものすらいないほどの昔の話だ。だが事実だ。 そこは天上の地獄だった。毎日がだんじり祭だった。憎しみが連鎖し、血が血であらわれ、idコールは果し状がわりの白い手袋、マッチョがウィンプのケツを掘り、非モテどもには要は勇気がなかった。そんなキリング・フィールドで「ただ生き残る」ことが

    「ネヲチ界のケルベロス」と呼ばれたころのkanoseを知らない人間は
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