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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/godfrey (15)

  • 投影が「キモイ」と言われる場合の話 - 試作型思索と詩作

    dododod
    dododod 2009/11/28
  • 理屈のフレームの向こう側へ - 試作型思索と詩作

    雑感, 心理http://d.hatena.ne.jp/godfrey/20091026/p1前回のボヤキが少し感情的だったので、今回は、それに関連して考えた事を冷静に。で、冷静に書いたら、いろいろ書いてしまって長文になったのでお暇な方だけ、どうぞ。 フレーム問題と呼ばれるものがあります。自分は専門家というわけではないのですが、自分なりに簡単に説明すると、コンピュータが自分が計算すべき領域を決められずに、ただ、ひたすら可能性のある事を計算し続けてしまい、行動の命令を出せなくなる、という問題です。例えば、計算すべき領域が設定されてない超高性能なコンピュータを搭載したロボットがあったとして、買い物に行け、と命令したとしても、具体的にどこに何を買いに行き、その道中で起こる可能性のある事故とその回避方法は…と、些細な事でも起こりうる事象を延々と計算し続けて動けなくなってしまうのです。この計算すべき

    dododod
    dododod 2009/10/28
    人におきるフレーム問題
  • Firefoxの不具合解決法を試してみた - 試作型思索と詩作

  • DSにカメラと聞いて、GBのポケットカメラを思い出した - 試作型思索と詩作

    dododod
    dododod 2008/09/29
    懐かしいw
  • 音楽でも何でも「出会い」を大事にしたい - 試作型思索と詩作

  • 自分のネガティブさを疑って壊してしまうくらいネガティブになると良いですよ - 試作型思索と詩作

    雑感, 心理sjs7のブログ言及して良いものか迷ったが、あまりにも痛々しい、というか自傷的なエントリだったので、言及してみる。 どーでもいいこと、との事なので、じゃあ自分もそれに反応して、いつものように、どーでもいいことを書く。上記の日記、ネガティブさ満載なわけだが、ここで、ポジティブになれ、とかアドバイスしても無意味だし、届かない。自分が引きこもり状態だった時に、それは何度も経験したことなので。では、何を言えば良いのか。「ネガティブさが足りない、もっとネガティブになれ、もっと絶望しろ」たぶん自分が言えるのはこんな所だ。 悲観的であることを突き詰めていくと、自分が悲観的な思考に至ることすら、疑えるようになる。そして、さらに進むと、希望とか絶望とか、二項対立させる事自体がどうでも良くなる。以前、孤独と絶望というのはジタバタせずに向き合うと向こう側があるって書いたけど、自分がそう思うようになっ

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    dododod 2008/08/27
    突き抜ける
  • 赤いニシンが本命になる事もあるから、ミステリは面白い - 試作型思索と詩作

    読書MORI LOG ACADEMY: 危うい論理性上記のエントリを読んで、非常に森博嗣さんらしい意見だと思った。この話はミステリは論理性が無いからダメだ、という話ではない。論理の危うさにどれだけ近づいて、どれだけ離れるか。その綱渡りがミステリの魅力だ、という事だ。 論理的ではないが、魅力的で面白いミステリは世の中にたくさんある。例えば、ハリィ・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない。まして雨の中となるとなおさらだ。」この文章だけから、推論に推論を重ねて、現実の犯罪へとアクロバティックに論理を着地させるという短編ミステリの名作だが、これが論理的か、というと正直、どうだろうと思ってしまう。しかし、面白い。実に魅力的な謎と、解決の快感がある。ミステリ作家の凄さというのは、読者の求める「これは無いよ」と「いや、あるかも」というレベルの狭間をどれだけ上手く突いて満

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    dododod 2008/08/15
  • おや…ヌルオタがSTGに興味を持ったようです - 試作型思索と詩作

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    dododod 2008/08/13
  • 屁理屈と駄洒落が嫌いな人には森博嗣的世界観は向かない - 試作型思索と詩作

    読書最近、森博嗣さんの「スカイ・クロラ」が押井守監督によって映像化された訳だが、自分は森博嗣作品は、あまり映像化して欲しくない、と思うファンの一人だったりするので、正直な話、それほど見たいとは思っていない。もしも、見るのだったら、あくまで押井守監督の作品という前置きで見ることができるようになるまで、しばらく時間を置くと思う。だが、もう見た人の話をブログなどで見ると、一部のセリフ等には森博嗣的エッセンスが残っているようで、それに拒否反応を示していたり、面白がったり、様々のようだ。 森博嗣作品全体への自分のイメージとして、不条理と論理の間に切り込んでくるような感覚というのがある。ミステリ作品等におけるトリックでも、そういったアプローチを試みている部分がある、と個人的には思う。そして、ファンタジーやSF要素の強い作品では、それはしばしば耽美的な雰囲気を伴って描写される。不条理と論理、ナンセンスと

  • 「ネタだよこれ」と説明しても、「ネタにする事自体がキモイ」で終わるよね - 試作型思索と詩作

    雑感◯◯オタが非オタの彼女に◯◯世界を紹介するための10まとめ - What is Normal 〜 もはや普通がわからない 〜「非オタの彼女に○○を紹介するための10」ネタの改変が、次々に出てきているようで、なかなか面白い。あれはオタクが自分の趣味語りをする際のテンプレとして、実に優秀だったということだろう。まず、「非オタの彼女に」という前置きが付く所が大きなポイント。ここで、いわゆる電車男のブーム以後に広まった、「オタク恋愛弱者の構図を乗り越える」みたいな匂いを見せつつ、オタク嗜好の無い人間もエントリに引き寄せるわけだ。さらに、「10紹介する」という所が汎用性を高くしている。10もあれば、その中に起承転結をつけて、内輪ネタを織り交ぜて、きっちりオチがつけられる。ネタにする素材としては、かなり良い感じである。 さらに、メタな形での改変も出てきて、改変としては行き着くところまで行

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    dododod 2008/07/25
    メタネタ
  • ネガティブな自分とのカオスな夜 - 試作型思索と詩作

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    dododod 2008/07/23
  • ネットのコミュニケーションは孤独を楽しめない人には向かない - 試作型思索と詩作

    日記書きの心得, 雑感インターネット時代の「孤独」 - 琥珀色の戯言上記のエントリを読んで、タイトルのようなことを思った。この日記、ほとんどアクセスが無かったのだろうな、と思われる日も実はあるのだけど、それでも自分が書き続けていられるのは、自分が一人でいる事が嫌いじゃない人間だからなのだろうと思う。昨日、自分が書いたエントリとも関連していると思うが、自分にとってネットに何かを投げかけるというのは、キャッチボールというよりも、ボトルに手紙を入れて海に流すような行為に近いもので、そういう行為が楽しめるかどうかが、ネットで呟き続けるためのコツなのだろう。それは、ロマンチック…というよりも、ネクラなキモイ心性なのかもしれないがw さらに言うと、究極的に突き詰めると、人生において何かを遺すという行為もこれに近い、と自分は思っている。「誰かに届く確証なんて無いけれど、それでも、後に続く誰かがいるかもし

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    dododod 2008/07/11
    "キャッチボールというよりも、ボトルに手紙を入れて海に流すような行為"/確かに、人に見られていることを忘れてしまう
  • 文体と思考の癖 - 試作型思索と詩作

    日記書きの心得【2ch】日刊スレッドガイド : まあ、とか文頭につける奴自分も、この日記で「まあ」は良く使っていると思う。あまり使わないようにしよう、と少し意識していたりするのだが、文体の癖というのは意外に抜けないものであるようだ。 毎日、何かを書いていると、文体の癖の他にも、自分の思考パターンの癖みたいなものが見えてくる事があって、毎日書くことのメリットの一つはそれなんだろうな、と最近思う。日記をたまに読み返すと、似たような思考の仕方で、それぞれ別の事について書いてるエントリが発見できることがあって、それが自分の癖、パターンであることが分かる。例えば、自分の場合は、「カテゴリ」「枠」といったものを意識するという思考パターンがあるように思われる。前提にあるものを疑って、そもそも、と言ってみたり、価値観の根底にあるものを考えたり。読み返すと、そういった「カテゴリ」「枠」を意識した考え方が垣間

  • 情熱が集まる所には、揉め事も集まる - 試作型思索と詩作

    雑感, マンガ漫画家の雷句誠さんと小学館の一連の騒動が、随分と話題になっているようだ。自分は雷句さんの師匠的存在の藤田和日郎さんのマンガが大好きなのだが、いわゆる「藤田組」のネタになるくらいのマンガや創作に対する情熱と好きっぷりは一人のファンとして、とても嬉しく思っていた。その情熱の濃さを表すエピソードとして、記憶に新しいのは、去年行われた漫画能力検定に、どう見ても、藤田一門の漫画家としか思えないタッチの原稿が応募に出されて、検定に合格していた事実が判明し、一部で話題になった事だろうか。一応、下記が去年のその話題へのリンク⊂⌒⊃。Д。)⊃カジ速≡≡≡⊂⌒つ゜Д゜)つFull Auto | 漫画愛好者の漫画をプロの目で評価する漫画能力検定に「うしおととら」の藤田和日郎、その他プロ漫画家が応募?この大人気ないくらい、マンガ描くこと大好きな感じがファンとしてはたまらない。そんなマンガ大好きオーラ

  • 表現に過敏な一般人と規制に過敏なオタク - 試作型思索と詩作

    エロゲ, 雑感 はてなの一部では、またエロゲ規制に関する論議が再燃したようで、どんな感じになっているか、といくつかエントリを読んでみた。それでなんとなく持った印象が今回のエントリのタイトル。これでは、話がかみ合わないよな、と思った。 しかし、両者に共通しているのは現実に起こってしまうことへの恐怖だと感じた。表現が現実化することを恐怖する一般人。規制が現実化することを恐怖するオタク。面白いのは、一般人の側は「規制を現実化させないためにも表現の自粛が必要」という論理で、オタクの側は「表現を現実化させないためにも規制すべきではない」という論理で武装できる所だ。全く逆のアプローチが同時に成立している辺りに、分かり合うことができない、という深い溝が伺える。 一般人にしてみれば、エロゲオタクの愛好してる表現は暴力に等しいのだが、オタクにとっては一般人が賛成してしまう規制こそが暴力に等しい。この辺が規制

    dododod
    dododod 2008/05/25
    どちらも現実化することを恐怖する
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