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ブックマーク / kariyatetsu.com (3)

  • 「美味しんぼ」の「福島の真実篇」について | 雁屋哲の今日もまた

    今、私は「美味しんぼ」の「福島の真実篇」を書いている。 ビッグ・コミック・スピリッツ誌の連載も、今週で3回目になった。 福島の取材は、2011年の11月から始め、2012年の12月に、一段落付けた。 福島県は、地図を見ると分かるが、東西に、海岸沿いを「浜通り」、中央の山間地を「中通り」、新潟県沿いを「会津」と分けてよぶ。(画像はクリックすると大きくなります) 結局1年とちょっとの間、福島に通ったのだが、非常に厳しい取材だった。 それ以前に「被災地篇」を書いたときの取材も厳しかった。(単行第108巻「被災地篇・めげない人々」) 私は「美味しんぼ」の中で、東北各県を取材して回っていて、その際にお世話になった方達が震災の後どうして居られるか、それが心配になって、宮城、岩手、青森各県を回った。 実際に、巨大地震と津波の被害にあって、生活の基盤を破壊されてしまった方達に被災の実態を伺って歩くのは、

    「美味しんぼ」の「福島の真実篇」について | 雁屋哲の今日もまた
    dododod
    dododod 2013/02/18
  • 少年サンデー・少年マガジン50周年記念合同パーティー | 雁屋哲の今日もまた

    3月17日、少年サンデー・少年マガジンの50周年記念合同のパーティーが開かれた。 私はパーティーと言う物が実に嫌いで、お誘いがあっても出席せず、最後に出席したのは、我が愛する池上遼一さんが小学館漫画賞を受賞されたときのお祝いのパーティーだ。 幾らパーティー嫌いと言っても、私が最初に漫画の世界に入るきっかけを作ってくれたのが少年マガジンの山野さんだし、当時の少年マガジンの編集長の宮原さんだ。 さらに、私が格的に漫画の世界でべて行かれるようにしてくれたのは、少年サンデーの白井さんだし、当時の少年サンデーの編集長の井上さんだ。 サンデーとマガジン。強烈な敵対意識を持っていた両誌が合同で50周年記念パーティーを開くという。 いくら、パーティー嫌いでも、両誌にお世話になった私として、これだけには出席しなければなるまい、それに、昔の編集者たち、漫画家たちと会える。これは同窓会ではないかと考え、14

    少年サンデー・少年マガジン50周年記念合同パーティー | 雁屋哲の今日もまた
  • 今日は、特別の日 | 雁屋哲の今日もまた

    今日、5月12日は私にとって特別な日である。 今日発売の、ビッグ・コミック・スピリッツ2008年度、第24号で、1983年以来続けて来た「美味しんぼ」に一区切りをつけるからだ。 25年、単行102巻、589話、自分でも良く書いたと思う。 1話がその1とか、その2とか、複数回にわたることが多いから実質的に書いた話の数は、589ではなく、1000を超える。 最初の頃は手書きの原稿を直接編集者に渡し、次に手書きの原稿をファクスで送り、10年ほど前から原稿はインターネットを使ってメールの添付書類にして送っている。(まてよ、最初の頃はインターネットが今ほど進んでおらず、いわゆるコンピューター通信、の形で送っていたな。私はNIFTYのごく初期からの会員だ) 25年前と今とでは、日の環境は大きく変わった。 当時私が書いて、読者が「へええ」と感心したようなことが今は常識になってしまっている。 始め

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