前回書いたように、工場の食事は悲惨なものでした。 ただし、ご飯は白米で、これだけはおかわりができたそうです。細井和喜蔵は17歳の時に、小さな茶碗に12杯食べたことがあると書いています。あの献立で、どうやって12杯のごはんを食べられるのかよくわかりません。塩くらいはあったのかもしれませんが、女工たちはもっと食べたいのにおかずがなくて食べられないと書いています。そりゃあ、たくわん二切れだけでそうはメシを食えない。 白米を出したことには事情があります。もっとも質の悪い最低ランクの米で、麦や小豆の混ぜ物が入っていたりしても、三食白米を食べられるだけで労働力をを集めることができたためです。貧農では、この程度の食事もできなかったことを意味し、ロクなおかずがなくても米を食えること自体がごちそう、あるいは三食食えるだけでも贅沢だった層が広く日本には存在していて、その労働力が日本の近代化を支えていました。