2007年12月9日のブックマーク (6件)

  • 独立行政法人=「悪」ではない! | 世界の片隅でニュースを読む

    この国では長らく官僚制の支配が続いているためか、「官」を憎むあまり「民」を過剰に高く評価する傾向がある。 中曽根政権による国鉄民営化や小泉政権による郵政民営化は、そんな大衆の「官」への不信と「民営化」信仰を背景に強行された。最近も社会保険庁がやり玉に挙がり、「ねんきん事業機構」に衣替えさせられることになった(これもいつ民営化の話が出てもおかしくない)。 「行政のムダをなくす」=「民営化」という公式は依然としてこの国の世論を支配している。 現在「行政のムダ」としてやり玉に挙がっているのは、何といっても独立行政法人(独法)である。 もともと橋政権が「行政改革」の一環として作ったものだが、小泉政権は特にこれを利用し、国の機関の一部や特殊法人や大学などを次々に独法とした。民間企業と同様、納税義務があり、実績により予算が左右されるなど、一種の市場原理が導入された。 しかし、これまでの特殊法人などと

    独立行政法人=「悪」ではない! | 世界の片隅でニュースを読む
    dokumenta
    dokumenta 2007/12/09
    独立行政法人の統廃合について、廃止一辺倒の議論を危惧。リサーチ、シンクタンク系の独法をむやみに削減すれば、政策科学やアカデミズムの発展や政府の堅実な政策立案能力まで削られてしまう恐れがある。
  • 「Corpus Delicti(コーパス・デリクタイ)」の翻訳について(罪の巨塊) - 愛・蔵太の少し調べて書く日記

    これは以下の日記の続きです。 →人が書いてもいないことを書いたと書く(言う)のはカンニンしてください、曽野綾子さん(罪の巨塊) 大江健三郎氏の、新聞に掲載された元テキスト(画像)から。 →「罪の巨塊」に込めた思い(2007年11月20日『朝日新聞』朝刊) (前略) 私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました。 (後略) いや、大江健三郎さん、corpus delictiって「他殺死体」という意味ではない*1し、普通は「罪の塊」という日語にも

    「Corpus Delicti(コーパス・デリクタイ)」の翻訳について(罪の巨塊) - 愛・蔵太の少し調べて書く日記
    dokumenta
    dokumenta 2007/12/09
    corpus delictiの訳語についての微細なやりとり。大江氏の「誤訳」がどのていどの誤りか、というのは微妙な揚げ足取りのように思われる。あくまで沖縄での「軍主導の集団自決」の有無こそが問われるべき。
  • きまぐれな日々 保水力の落ちた「限界集落」の山林と自民党の地盤

    もう8年も前、小渕政権の頃の話だが、四国・愛媛県の石鎚山の麓から西条市までの舗装道を、酔狂にも徒歩で20キロ以上下りて行ったことがあった。道中、いくつかのすたれてしまった集落を目撃した。その中には、昭和の末期に村おこしを試みながら失敗した跡が残っているところもあった。これが四国の山間部の実情だ、と思った。 今日(12月2日)、テレビ朝日のサンデープロジェクトで放送された 「限界集落」 の特集を見て、直ちに思い出したのがわが目で見た山村の姿だった。「限界集落」 とは、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す(Wikipediaより)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%90%E7%95%8C%E9%9B%86%E8%90%BD 先ほど 「大津留公彦のブログ2」 からこの番組について

    dokumenta
    dokumenta 2007/12/09
    サンデープロジェクトの放送内容も報告。限界集落の問題は、ずっとちょっと調べる価値があると思っている。ワーキングプアとか都市地方格差の極致がここにある。
  • ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ソーシャルブックマーク(SBM)はプライベートな空間か? それともオフィシャルな場なのか? あなたはどう思いますか? 人によってはソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考えて、人の目に映ることを考慮したコメントをする人もいるけど(私はこっち)、素直に自分の思いをぶちまける人も多い。 ●北の大地から送る物欲日記『ブログとSBMに見るコメント欄の違い』 (以下、次の引用も同エントリから) 筆者のhejihoguさんは、ソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考える人のようだ。私もそうである。ただ、そうなんだけど、「そうじゃないような感じ」に囚われる瞬間がよくあるのも事実だ。 ブクマ・コメントを書いてる最中にふと、あたかもそれが自分のプライベートなスペースであるかのような錯覚に陥るのである。 すると、どうなるか? よくソーシャルブックマークのコメント欄は酷いという指摘があっ

    ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか? - すちゃらかな日常 松岡美樹
    dokumenta
    dokumenta 2007/12/09
    「オープンな場だけど、個室気分でいたほうが世の中的にはおもしろい」との指摘。ブクマを公開する人は、いや、そもそも日記ブログをアップする人も、ガラス張りの個室に住むことを選んだ人、というわけ。
  • http://mainichi.jp/feature/blog/20071207mog00m300051000c.html

    dokumenta
    dokumenta 2007/12/09
    個人的な定期巡回先は「bogusnews」と「天漢日乗」「新小児科医のつぶやき」の3つだけ。ブロゴスフィアは、ますます拡散しているなあ。
  • 「ブクマ・ジャーナリズム」はマスコミを屈服させるか?(後編) (1/2)

    ネット上の出来事やブーム、コンテンツなどを深読みする連載。第1回に続いて、CGMとマスメディアの関係性について考えてみる。 前編で解説したように、取材し原稿を書く人間は相手の様子や話の流れを勘案し、聞いた話を複合的に判断している。また彼らは読者よりニュースソースに近い位置におり、当然多くの副次的な情報もつかんでいる。 だがやっかいなことに、ニュースソースに近いこと、余分な情報をもっていることが裏目に出るケースもある。例えば取材される側と親しければ、ナアナアの原稿になる可能性が生まれる。また副次的な情報に惑わされ、深読みしすぎてまちがえるケースもありえる。情報の多さが逆に、悪い意味での予断を生むのだ。 取材者より客観的な目をもつブックマーカー 一方、コメントをつけるブックマーカーは余計なことは知らない。書かれているものを読み、きわめてシンプルに審判を下すだけだ。ある意味、筆者より客観的に記

    「ブクマ・ジャーナリズム」はマスコミを屈服させるか?(後編) (1/2)
    dokumenta
    dokumenta 2007/12/09
    「CGMとマスメディアは足りない部分を補い合い、相手の批判を取り入れながら進化する相互補完の関係になる」と予想。当然でしょ。すでにそうなってる。問題はこういう事態を認識できない既存メディアの人が多いこと。