This is "hiroshima(高精細)" by 井上・月丘映画財団 on Vimeo, the home for high quality videos and the people who love them.
例の件に関して、当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもない人間がどうこう、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。 俺は長崎の生まれで被爆三世で当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。 俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者はほとんど残っていないから俺が言う。 長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーどころか扇風機もない真夏の小学校の体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺はとにかくそれが辛かった。 話をする年寄りはもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。 もうひとう、この時期になると廊下にはずらりと、他所の地域ならPTAが発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出され
Misa @HealthyPlanet7 Internal Medicine, Geriatrics/Palliative Care physician. 米国内科・老年科・緩和ケア。日米医師免許。医学教育・宇宙医学・公衆衛生。2000-2005, 2016-2021在米。2児の母。Podcast休止中 #宇宙医学最前線 Misa @HealthyPlanet7 私は親の仕事の関係で10歳で渡米した時に白人ばかりいる住宅地に住むことになり、差別は色々と経験させてもらったのと、自分が日本人である、というアイデンティティを強烈に叩き込まれた。 その中でも一番よく覚えているエピソードは、5年生の時の社会科のクラスでの出来事だ。 (続 Misa @HealthyPlanet7 『自然災害』について2人1組で調べてクラスの前で発表する、と言う課題だった。 私は渡米してからまだ半年、まだ英語が全然喋れ
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