ブックマーク / zeromoon0.hatenablog.jp (3)

  • 最近炎上しやすいかぐや姫 - 無要の葉

    2015-03-12 最近炎上しやすいかぐや姫 今となってはもう昔のことだが、竹取の翁というものがあったそうな。アカウント名を「@Sanuki_miyatsuco」と言い、オリジナルの竹細工を細々と通販しておったそうな。 ある日のこと、翁が竹を取りに行くと根元が光っている竹がありました。不思議に思って近くに寄ってみると、なんと竹の筒の中が光っているではありませんか。翁は「ちょっとこれやばいんだけど」とまず画像をTwitterにあげて反応を見てから注意深く竹を切りましたがその間も実況を続け、最終的に最初のツイートはRTが4000近くになりました。途中からツイキャスに変更して竹の中を開けてみると、中に小さなかわいらしい女の子が座っていまして、「ようじょwww」「奇跡wwww」と溢れるコメントに翁は気まずさを感じ、即刻Twitterアカウントを削除してしまいました。その結果、「もと光る竹なむあっ

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  • 「これは本当にあった話です」の話 - 価値のない話

    2014-09-13 「これは当にあった話です」の話 まだゲーセンで消耗してるの? 優しさの値段 〜時給1万円の重み〜 読んだよ。普通にいい話だね。いい話なんだよ。よかったね。だけど、なんで「短編小説」なんて宣言したの? その辺の構造ですげぇ気になったので書く。 気になる点1:限りなく創作くさい  ブコメでは「よい話!」と大絶賛なのですが、どうしても気になるのが「短編小説」っていう部分。実際に体験したことであれば、わざわざ小説にする必要なんてありません。「新宿でおばあさんにあった→道案内した→話をした→都会の人は冷たいな→増田に書いたよ」で充分通じる話なのに、どうしてわざわざ手間をかけたのか? 理由1:客観的っぽい思い込みをスラスラ書けてしまう 自分みたいなひねくれた人でない限り、情景を想像しやすい文章と言うのは読み手も抵抗がなく読めるし、書き手も「これは小説だ」と意識をすると思っても

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  • 自分と他人の区別がつかない人の話 - 価値のない話

    2014-08-20 自分と他人の区別がつかない人の話 このブログでしばしば「自分と他人の区別がつかない」という表現をしているけれど、それがどういう意味で使っているのか書いたことがないので書いてみる。 よく家庭板とかで見るトラブルママ報告を見るたびに「この手の人はいてもおかしくない」と肝に銘じるくらい、自分はそういう人に絡まれやすい。両親いわく「お人よしで何でも言うこと聞いてくれそうな顔だから」だそうだ。実際2ヶ月に一回くらいのペースで道を尋ねられる。「地元っぽい顔」「何でも知ってそうな顔」らしいけれど、さすがに学生時代初めて池袋に着いてキョロキョロしているとき「西口はどっちですか」っておばあさんに聞かれた時はビックリした。「初めてなのでわかりません」としか言えない。今でもたまにそういうことがあるけど、さすがに慣れてきている自分が少し嫌だ。 タイトルに戻ると、「自分と他人の区別がつかない人

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