大局を見つめよ。でも999の壁が立ちふさがる。パワポの時(sm341499)はつかさだったので、今度はかがみで。
こないだ親父が俺の家に泊まっていったときに、結婚についての話題が出たのだが、その話がちょっと印象深かった。 父「社会人になってちゃんと所帯を持つことにもなるだろう。」 花見川「んー、結婚かあ……。」 父「やっぱり仕事する上でも家族がいるから頑張れる部分もあるし、こうやって息子と話すこともそりゃあ嬉しいもんだ。子供が面倒見てくれるという保障なんてのは無いし、面倒見て欲しいとも思わん。結婚したとしても人間死ぬときは独りだ。それでも結婚する価値はある。」 花見川「でも、最近結婚しない人って増えてるらしいよ。やっぱ結婚したらしたでお金がかかるし、時間もかかるから……」 父「そんなの男と女の関係しか無いじゃないか……。」(呆れるというより悲しいような表情で) なんかこの強調部分が妙に耳に残った。「あ、やっぱそうなのか。」っていう感覚というか。 (非モテ界隈のエントリばっか見てたせいで感覚がズレてたせ
「今さら『はてな』でスクールカーストかよ」という声もある中、 すいーとぴー様から 「そもそもスクールカーストって何ですか」という質問がありました。 『いじめの構造』(新潮新書)を書くにあたって、中高生や大学生にも「スクールカースト」について質問したのですが、 「はぁ、今さらですか」 という声と 「何ですか、それ」 という声が両方あり、概念共有範囲(共通文化を持つ範囲と言ってもいいかも)の狭さを改めて実感しました。 スクールカーストの定義:主に中学・高校で発生する「人気のヒエラルキー」。俗に「1軍・2軍・3軍」「イケメン・フツメン・キモメン(オタク)」「A・B・C」*1等と呼ばれるグループにクラスが分断され、グループ間交流がほとんど行われなくなる現象。未だ根強い影響力を持つインドの階級制度、「カースト制度」に酷似していることから名付けられた(『はてな』より」 実は、新潮新書の編集担当も最初、
以前どこかで書いたつもりでいたけれど、調べると書いていなかったので、メディアリテラシーと教育について、まとめ&覚え書き代わりに書く。 まず、(1)ワードとエクセルで生徒を遊ばせれば「情報」教育だとか思ってる人々はちょっと置き去りにしておきたい。そんなものはコンピューター(というかソフトウェア)の活用練習に過ぎない。また(2)ニュース映像やコマーシャルの分析をして「メディア・リテラシー教育」と言ってる人たちも、それはそれで大切なことだと思うがちょっと問題としては枝葉に属するのでまあ置いておく。映像メディアは確かに分析素材としては面白いし諸外国で行われているその手の授業が成果をあげていることも重要なのだが、それらは本当は他の教科で知らず知らず行われているもっとおおきな「リテラシー教育」をベースに成り立っているので、それを理解せず日本に持ち込んでもおそらく失敗せざるを得ないと思う。 自分が取り上
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