高校1年生でドワンゴにスカウトされ、エンジニアとして1年半活躍した山中勇成さんが次の挑戦の場に選んだのは国の未踏人材事業だった。彼はいかにして採択を勝ち取り、最年少のスーパークリエータに選ばれたのか。そして大学生になった彼の、今後の展望とは―。 ▼最年少未踏スーパークリエータ・山中勇成氏の取材レポート第1弾 高校生でドワンゴのエンジニアに!?山中勇成氏の人生を変えた、14歳でのプログラミングとの出会い。 から読む 17歳で個人開発・企業エンジニアを経て未踏に挑戦する男。 中学2年生の時に見たテレビドラマ「ブラッディ・マンデイ」の主人公に憧れたのをきっかけにプログラミングを学びはじめ、数々のWEBサービスを開発してきた山中勇成さん。 ニコニコ動画を運営するドワンゴで1年半エンジニアとして活躍した後に選んだ舞台は、国の未踏プロジェクトだった。 無事に「リアルタイムな生放送検索技術の開発」とい