「すごくおいしいですね。一体、これはなんという料理ですか?」インド人に日本のカレーを食べさせると、こんな感想がよく返ってくるという。実際に日本と本場インドのカレーと食べ比べてみると味も形状も大きく違っているためだ。日・印で大きく違うカレー香辛料のよく効いた汁気の多いソースをパサパサした細長いインディカ米や小麦粉を焼いたナンで食べるのがインドの典型的なカレー。これに対して、とろみのあるソース
明治時代後半になるとカレーは庶民的な洋食店でも扱われるようになりました。 また、比較的裕福な家庭でも作られるようになりました。 カレーが一般庶民の家庭でも作られるようになったのは、 日露戦争がきっかけでした。 朝鮮半島と満州の支配権を巡って対立していた日本とロシアは 1904年(明治37年)2月8日に戦争を始めました。 これが日露戦争です。 二〇三高地の激戦や日本海海戦を経て 1905年(明治38年)9月5日ポーツマス条約が締結され、日本は勝利しました。 戦争を行うためには兵士に食べさせる食料が必要です。 そしてそれは、日持ちがする食材で一度に大量に簡単に調理できるもの でなくてはなりません。 そこで白羽の矢が立ったのがカレーでした。 カレーは軍用食品として最適だったので、陸海軍ともに採用されました。 海軍でのカレーを食べる習慣は、現在の海上自衛隊にも引き継がれており、 毎週金曜日が「カレ
インド発祥の料理にして、今や日本の「国民食」と呼ばれるカレー。日本人なら誰でも、カレーにまつわる記憶の1つや2つ、持っているのではないだろうか。 私の中で「忘れられないカレー」と言えば、大阪・難波にある「自由軒」の名物カレー(650円)だ。ぐちゃぐちゃに混ざったカレーとご飯。そして、真ん中のくぼみには生卵が1つ。こげ茶色に色づいたご飯とつやつやした生卵のコントラスト。そのビジュアルを初めて雑誌で見た時、目が釘付けになった。 自由軒は創業1910(明治43)年。炊飯器のなかった時代、冷めたご飯を温かく供するために、カレーとご飯を混ぜるアイデアが生まれた。この名物カレーは無頼派作家・織田作之助が愛したカレーとしても知られ、代表作『夫婦善哉』にも登場する。 文学少女気取りだった高校生の私は、この一風変わったカレーを「いつかは食べてみたい」と思い続け、大学生になって念願が叶った。初めての大阪ひとり
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く