かつて「週刊ファイト」というプロレス紙が存在した。プロレス情報以外にもボクシングやお色気なども扱う旬刊紙として1967年に出発し(のちに週刊化)、初代編集長である井上義啓(故人)によってその性格を決定付けられたのである。井上がアントニオ猪木に傾倒したために、扱う記事の大部分が新日本プロレス絡みのものとなった。また大阪に編集部があるという不利な立地条件のためにゲリラ戦法を余儀なくされた。まともに試合レポートを載せていたのでは、在京出版社の「週刊プロレス」「週刊ゴング(休刊)」といった競合誌、スポーツ各紙には勝てないのである。そのため他誌がやらないすっぱ抜きのスクープに活路を見出し、団体関係者には怖れられる存在に変わっていった。 プロレス関係の各紙誌がスクープを重視しない理由は、プロレス団体と記者たちの間に運命共同体を結成しているといってもいいほどの暗黙の了解があり、団体にとって都合の悪い真実