ブックマーク / sayokom.hatenadiary.org (3)

  • ワカッタラデテケ、と言ってポーゴさんは出ていってしまった - 逆エビ日記Ver3.0 

    最初にミスター・ポーゴさんを知ったのは、サムライTV開局直後の1996年のことだった。ポーゴさんの引退と大仁田さんの復帰がかかっていたように覚えているけれど、あちこちの会場でお願いしたりされたりしていて、そのひと言ひと言にファンも熱狂してポーゴさんを後押ししていて、プロレスを見始めたばかりの私は「プロレスってなんて浪花節で泥臭いんだろう」と思ったことを覚えている。 そしてインディーのお仕事。2002年10月に始まったサムライTVのこの番組は、ミスター・ポーゴ抜きでは成り立たなかった。「メジャーのニュースと色分けする」ためにこの番組が始まることになり、集められたスタッフ会議の冒頭で「では第1回に何をやりましょうか」となった時に当時のディレクターも、現在まで構成作家として関わり続ける須山浩継さんも、そして私も同時に「伊勢崎暗黒街化計画しかない」と断言。このスタッフならば間違いない、絶対この番組

    ワカッタラデテケ、と言ってポーゴさんは出ていってしまった - 逆エビ日記Ver3.0 
    dragon-boss
    dragon-boss 2017/06/23
    《「ずっと先の尖ったウェスタンブーツを履いて試合していたでしょう、だから足の指が曲がっちゃったんです。恥ずかしいから撮らないでね」…長年の、激闘の証だった》
  • 天龍さんが飲んだ世界一美味しいビール - 逆エビ日記Ver3.0 

    天龍源一郎選手が引退した。「お腹いっぱいのプロレス人生」を走り切り、現在進行形の最先端を突っ走るオカダ・カズチカに何度も吹っ飛ばされ、歯をいしばって立ち上がり、そしてボロボロになりながらも最後は自分の足でリングを降りた。当に、カッコ良かった。 志半ばでこのリングから去り、そしてありがとうもさようならも言えなかったレスラーが幾人もいた中で、2年前に小橋建太選手が引退試合をやり、10カウントゴングを鳴らし、笑顔でリングを降りられたことに私たちは心から感謝した。小橋建太にありがとうと、さようならが言えて良かったと心から思った。 今日改めて天龍さんの引退試合を見届けることが出来て思う。そのキャリアが長かろうが短かろうが、レスラーがどうか自分の意志でリングを去る決断が出来ますように。そして自分の足で笑顔でリングを降りることが出来ますようにと。 同時に思う。レスラーを応援する私たちは、彼らが初々し

    天龍さんが飲んだ世界一美味しいビール - 逆エビ日記Ver3.0 
    dragon-boss
    dragon-boss 2015/11/16
    《それでも天龍さんはそのリングで、必死で勝とうとしていた。しがみつくように勝とうとしていた。そんな天龍さんに「天龍、今が一番かっこいいぞ!」という声援が飛んだという》
  • 2014-03-20 旅に出る理由があった小沢健二と旅に出られなかったタモリ - 逆エビ日記Ver3.0 

    オザケンこと小沢健二さんの16年ぶりの笑っていいとも出演に関しては、生放送を凝視していた時には「あっボーダー」とか「あっ眼鏡」とかそういったことばかりに興奮していまひとつ冷静な気持ちでいられなかったので、録画したものを改めてひとりで見てみたらものすごくいろんな感情が揺さぶられ、有り体に言うとものすごく泣けました。 これから録画を見ようと思っている人はここから先は読まない方がいいです。出来ればご覧になった後にまた読みに来て下さると嬉しいです。 このテレフォンショッキングは、「旅に出る理由があった小沢健二が、旅に出ることが出来なかったタモリに送るメッセージ」であったように私には見えました。 トークの前半でこの16年住んできた世界各地の話をし、それを興味深そうに聞くタモリ。それは別に特別ではない風景で、この30年このコーナーで誰が来ようとずっと繰り返されてきたことでした。 しかしその雰囲気ががら

    2014-03-20 旅に出る理由があった小沢健二と旅に出られなかったタモリ - 逆エビ日記Ver3.0 
    dragon-boss
    dragon-boss 2014/03/21
    《でもタモリだけは変わらずに、旅に出ることもなく、お昼休みにそこに居続けた。そのタモリさんも、変わる時を迎えている》
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