*1 なんとかかんとかed by 関内関外日記「『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー/中川五郎訳」(2005-08-09) ←のリンクこそ、このエントリのすべてである。以下に書かれるものは、まったくの余談に過ぎない。 みじめったらしい部屋で読むのも何だしなと、ブコウスキーの「死をポケットに入れて」をわしづかみにして、サンマルクカフェに入る。私の中では色川武大「狂人日記」と並ぶものになるかもしれない。そんな書籍を読むのだから、タリーズに行ってもいいくらいだ。 河出文庫を買ったのはいつ以来であろうか。背のデザインが変な黄色になってからは初めてのはず。以前の白の"ぬめっ"としたカバーは好きだったのだが。松浦理英子の小説には、あの"ぬめっ"としたカバーがほんとうによく似合っていたじゃないか。 はじめて買った河出文庫は何だったかといえば、「ブルックリン最終出口」。著者の名前はなんど目にし
今朝、目が覚めて、しばらくベッドのなかでアイフォンをさわっていたら、サリンジャー死去のニュースを知った。1919年生まれだから、かなりの高齢ではあったが、それにしても、サリンジャーが死んだというしらせはなんだかふしぎな感じがして、そのまますこしぼんやりとしてしまった。 数年前にヴォネガットが死んだけれど、そのときにわたしが感じた気持ちは、今回とはすこしちがっている。なぜなら、実人生においてヴォネガットは、すこやかに、とてもよく生きたが、サリンジャーは、ごく控えめにいっても、彼の人生をじゅうぶんに享受し、よく生きたとはおもえなかったからだ。彼は作品を発表せず、人目を避け、森の奥にひっそりと暮らしていた。家のまわりには高さ2mの塀をめぐらせていたという。 だからこそ、わたしにとって、サリンジャーがまだ生きているというのは、とても意味のあることだった。彼の机の上には、十数作におよぶ長編小説の完成
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