侘び寂びも解らぬまま
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僕が小学校に行ってた頃ね、日本は戦争してたでしょ、戦地の兵隊さんに手紙を書きましょうなんて宿題が出るわけ、僕は何書いていいかわからないんだ、母にそう言うと、自分のことを書けばいいのよと言われる、そこでまた困っちゃうんだ、自分のことって何書けばいいのって言うと、遊んだことでも、勉強したことでもなんでもいいのよと母は言う、そうすると頭に浮かぶのは、朝起きて顔を洗って朝ごはんを食べてみたいなこと、子供心にも全然面白くない、いやいや鉛筆でひらがなと漢字を書いていた。 今考えるとこれは一種のトラウマになったんじゃないかな。文章を書くのはとにかく苦手、それより前に字を書くのが既に苦痛だった。思うように字が書けない、しょっちゅう母親に直されていた、大人になってからも字が上手く書けない。それが字を書いて言葉を操ることで暮らしを立てるようになったんだからわからない。「詩」というものが存在してなかったら、僕は
昔に比べて文章が下手になってしまった、と思う。 以前はもっと、スッと意味の通るわかりやすい文章が一発で書けていた。それが今では、なんだかもたもたした、わかりにくい文章しか出てこなくなっている。 何度も見直して書き直せば、わかりやすい文章を作ることはできるのだけど、昔に比べて余計な手間がかかるようになった。 これは四十代になって、加齢の影響が出てきたということだろうか。多分そうなんだろう。 僕は二十代の頃から「全てがだるい」と言っていたけれど、今思うとその頃は今より全然元気だった。 あの頃は毎日のように面白いアイデアを思いついていたし、たくさんの人と会って話したりする元気もあったし、本を読んで感動をすることも多かった。 今は、体力は落ちたし肩こりもひどくなった。頭の回転も悪くなったし、感受性も鈍ってきた。自分の中にあった良いものはすっかり失われてしまったし、今後もさらに衰えていく一方なのだろ
もう20年くらい、ずっと文章を書いている。最初は趣味で、ウェブ上の日記に思ったことを書いたりしていただけで、読むのは知り合いくらいだったのだけど、いつの間にか顔も知らない人に読まれることが増えて、書くことでお金をもらうようにもなった。 だけど、文章を誰かに褒められたり、文章でお金をもらえたりするとうれしいのはうれしいけれど、それはあくまで二次的なものだという意識がある。 僕が文章を書くのは自分のためだ。自分が何かを考えたいから書くし、自分が何かに納得したいから書く。書かないといつまでも同じところを堂々巡りしてしまうけれど、書くと思考や人生が前に進むような気がする。 生物というものが食べ物を摂取して排泄するように、自分にとって何かを読んで何かを書くことは、生きることと一体化しているような感じがある。 いや、もっと大きい理由は、書くことに圧倒的な快楽があるからだ。どんな快楽よりも文章を書くこと
■人生は意図せずはじめられてしまった実験旅行である。 自分について悩んだことのない人は、そんなにいないと思う。 誰かに恋したときなのか、あるチャレンジをして挫折したときなのか、人と比べて自分の人生が劣っていると思ったときなのか、それとも夜一人部屋で電気を消してベッドにポツンと大の字になってウォークマンを聴いたときなのかは人それぞれだろう。 そんなときの悩みは、だいたい「私っていったいなんなんだろう」というやつで、自分の存在意義、存在の矮小さ、自分への他人からの評価の低さ、恋人もいない、声をかけてくれる友達もいない……と考え始める。 こういうときどうやってみんなは人生を過ごしてるのだろう? そもそも自分に友達なんていたっけ……? 人生をうまくやるコツ、人に嫌われないでいる方法、自分が自分に誠実でいられる方法……ああ、またぐるぐるうじうじ始まった。 そんなときにふと開いた本、目に入った一節。
2019年12月6日。いつものように慌ただしく出勤の準備をしながら、その僥倖は突然に訪れた。 * その日、NHKの「あさイチ」は作家・川上未映子の特集だった。彼女の著作「夏物語」を軸にトークが組まれていて、そのコーナーの一つとして「母に言われた忘れられない言葉」というテーマのメッセージ募集がなされていた。 番組中盤、いかにもNHKらしいほのぼのとしたいくつかのオカンエピソードがMCの博多華丸・大吉と近江アナウンサー、そして川上未映子のコメントを挟みながら紹介される中で、あるメッセージが読み上げられた。 「“あなたは幸せになれない”という母の言葉が呪いのように残っています」。 呪いって……と思わず誰もが絶句して、和やかな雰囲気のスタジオにうっすらと薄氷のような緊張感が漂うのがわかった。それを吹き飛ばすかのようにスタッフが大声で笑い声をあげたのが余計に虚しく響いた。 いやこれ、前後の文脈がわか
ひどい人がいるものです。昔、住んでいたマンションの前を流れる川に自転車が投棄されているのを見てしまいました。ひどいやつがいるものだ、けしからんとは思いつつも濡れたり汚れたりするのが嫌だしそもそも誰かしら、例えば市の然るべき部署の人がやるのであろうからと別に拾うわけでもなく、毎朝一向に拾われる様子のないそれを見ては、世の中には全くひどいやつがいる、川の景観を、自然のナニガシを何だと思っているんだと、憤りながら通勤していたものでした。 その後半月ほど、自転車は撤去されるわけでもなく、おいおい周辺住民はなにをしているんだ、あ、俺やんかーなど、自転車が徐々に周りに生え行く草々に覆われるとともに徐々にこの不法に投棄された自転車を見てみぬ振りしていた薄い罪悪感も徐々に消え行くのを感じました。即ち、自転車は半月もしないうちに川をせき止め、徐々に堆積してきた川底の土の上に出現した草たちに覆われ始めたのであ
今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉」 すばらしい詩人の一人である田村隆一はこう書きました。 沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい 「新年の手紙」部分 私が十年とそこらブログというものを書いてきて、ずっと思っているのはこのことです。少数の者たちのために手紙を書く。こういった形で文章を世界中にさらけ出すにあたって、これ以外のことを考える必要はありません。 ブログを書こうという人など、それ自体が少数の者です。だから私は、いつものように少数の者のために書く。あなたのために書く。ブログを書こうなどという、少数の者のために。 初期衝動さえあればいい。その衝動がただひたすらにものを書くこと、だれかの目に触れさせること、それを持続させることにつながるのだから。最初の「公開する」ボタンを押した瞬間からそれは始まり、あなたが息絶えるまでそれは終わりません。
保健室では,在学生を対象に,わかりやすく健康に関する情報やトピックスをお伝えするため,保健室だよりを発行しています。 2019年3月 定期健康診断を受けましょう(548KB) 2019年2月 麻疹について(649KB) 2019年1月 インフルエンザの感染を防ぐために(818KB) 2018年(特別号) 大学生活における飲酒について(728KB) 2018年(特別号) 大学生活における薬物について(921KB) 2018年11月 車いすの基本操作(537KB) 2018年9月 ストレスについて(957KB) 2018年8月 食中毒を予防しましょう(546KB) 2018年7月 熱中症対策(961KB) 2018年6月 災害時に備えて(355KB) 2018年4月 アルコールパッチテスト(494KB)
2ヶ月半前に母が亡くなった。自殺だった。 4年前に亡くなった父と同じ64歳で、4年前と同じように仕事中に「亡くなっていたよ」とふいに知らされた。違うのは、病死ではなく自裁だったことと、4年前に携帯電話越しに父の死を伝えたのは母だったのが、今度はその母が死んで姉が伝えてきたことだ。母の「ゆう君、お父さん、亡くなってたよ」といつもと違う妙に間延びした4年前の声も忘れられないし、姉の「ゆう君、お母さん亡くなってたって」と涙ぐんだ声も忘れがたい。 火曜日に外注先で仕事をしていて、正午になったから休憩に入ろうかと思ったときに姉から電話が入った。地元に住む姉の名前が表示された画面を見た瞬間に、母親のことだな、亡くなったという話かもしれないと思った。平日の朝は母親とメールを交わす習慣になっていて前日月曜と当日は返事がなかったから変だなと思っていたからだった。いつも朝7時頃にこちらからメールを出すと、30
もう14年くらいにわたって思い出したようにやってる「歌詞を翻訳サイトで和訳/英訳したり、それを適宜和訳し直したりしてアルゴリズムによる誤訳、珍訳、名訳を楽しむ」という遊戯がある。 毎度そこそこ面白い結果が出たりもして言葉の奥深さに気づかされることが多いのだが、自分で言うのもなんだけど手口に嫌味ったらしさがあるし、いちいち公開するのも面倒だし、何より本当に「これは!」と思うような名訳はごくまれにしか出ないので、特にSNSなどでシェアすることもなくこっそり自分の中での楽しみに取ってある。 そんな中でも「これは!」と思ったのを、2年前に下記リンク先に掲載した。 「ラブリー」という畢生の名曲に、きっと小沢健二本人も意図しないままに(当たり前だ)込められた祈りというか秘められたポジティビティをあまりにリリカルに表現してくれていたので、爆笑しながらちょっと泣けた。 さて、このときは個人的に21世紀のビ
「ラブリー」の歌詞をいったんexciteで英訳し、その結果を再度和訳してみた。 原詞に関してはそれぞれ自分でチェックして頂くとして、その帰結を早速見てみたい。 ************************************ それが夢およびFEEL ALRIGHTで誰かに会った彼女に会うであろうことを知らないSHOWTIMEが、ちょうどしばらく(氏、直ちに理解するさ、そして私、愛するために落ちないこと)待つLIFE IS、ちゃ 夜が深く長い時を超過します。また、それはOH BABY LOVELY LOVELY WAY呼吸が不足しています。 その後、LIFE IS COMIN」BACK —彼は私のためにOH BABY LOVELY LOVELY —そのような大きなデイズ—を遅らせます、それは完全な愛に落ちます、で、いつ、あるいは誰か、OH BABY LOVELY LOVELY —甘い
9月23日に放送された『謝りたい人がいます。』(TBS)では、三遊亭円楽が立川談志に“不義理”をしたことを墓前で謝罪した。 その不義理とは散々お世話になり、六代目円楽の襲名披露の際にも口上を述べてくれた談志に対し、亡くなるまで改めてお礼を言う場を作れなかったことだ。 2010年3月、病気療養中にもかかわらず、飛び入りで談志が円楽襲名披露興行に登場したのは当時、大きなニュースになった。 しかし、その口上の内容についてはほとんど報じられなかった。 今回の『謝りたい人がいます。』でも、紹介されたのは以下のようなごく一部の部分だけだった。 談志: 落語協会に転がってきた時のザマは忘れたとは言わせねえぞ。ボロボロのポロシャツに地下足袋履いてきやがって。その時、落語協会の方、大勢揃って特に円楽は人がいいから、お前を居の間に住ませてハンバーグの残りだとか、パンの耳だとかライスカレーの福神漬けの余りを食っ
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