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KYに関するdragonmoonのブックマーク (2)

  • 【32】あなたはKYを気にしすぎていないか?:NBonline(日経ビジネス オンライン)

    今日のコラムは、ある一般の方の結婚式で私自身が学んだことについてお話したい。 1980年代半ば、都内の商店街がクイズやゲームやカラオケで競い合うラジオ番組を担当していた。それをきっかけに今もお付き合いが続いているTさんから電話がかかってきた。 「うちの商店街の理髪店のおやじ覚えてるだろ。あの息子が結婚するんだけど、司会してやってくんねえかなあ」 「やたら元気な親父さん。よく覚えてますよ。あいにく、その日は仕事がないからOKです」 1カ所だけピーンと張り詰めていた披露披露宴の2週間前の打ち合わせで会った息子は、父親の店で働く若き理髪師だ。一緒に来た新婦は中国人。今どきの日の女の子にはあまり見られない素朴で控え目な感じがする。かつて中国語をかじったことのある私。その錆びついた中国語で話しかけてみたが反応がない。 「彼女は吉林省の朝鮮族なので、中国語は得意じゃないんです」。なるほど。中国

  • 空気を読むな - 池田信夫 blog

    宮台真司氏が、「KY」と日の論壇の幼児性を結びつけて論じているが、私も同感だ。日のメディアは空気によって党派がわかれ、慰安婦でも沖縄でも、初めに結論ありきで、歴史的事実におかまいなしに、朝日=岩波ムラと産経=文春ムラにわかれて罵倒の応酬が続き、論理的な論争が成立しない。たとえば『諸君!』に執筆すると、文春ムラに入ったとみなされ、そっち系の雑誌からばかり注文が来るようになる。 こういう無人称の空気こそがかつて日戦争に引きずり込んだのだ、と指摘したのは山七平だが、その原因を彼は分析しなかった。私は、この謎を解く鍵は、山が空気と関連して論じた水にあると思う。といっても彼は「場の空気に水を差す」というように空気=雰囲気と対立する通常性の原理として水をとらえたのだが、ここで私がいうのは文字どおりの水、すなわち農村の水利構造である。 われわれはつい忘れがちだが、日では50年前まで人口

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