食に関するdslenderのブックマーク (2)

  • うすしおという生き方

    あたしはたぶん世界中の誰よりもうすしおのことを愛しているし、できることならうすしおになりたい。 それはたぶんうすしおの生き方、ちょっとカッコつけていうとうすしおの生存戦略にとてもあこがれているからなんだ。 うすしおっていうのはスタンダードになったがゆえにその存在がまさに絶対的なのだけれども、その絶対的存在になるためにとにかくあらゆる外的要因、たとえばコンソメとかカラムーチョとかチーズ味なんかに対して等距離を保つことにした。まわりにどんな味が現れても必ず他の味と比較して「うすいしお味」たろうとした。 絶対的存在になるためにあらゆる味から相対的であろうとしたんだ。それゆえその存在は他の味とカブることなくただただそこに「有る」ことができた。 武士の剣を受けても倒れないよう樹木はより巨木になろうとする。 だが何度も剣を受ければいつかは巨木も倒れる。しかし風に舞うはなびらは振り下ろされる剣のまわりを

    うすしおという生き方
    dslender
    dslender 2014/09/27
    ポテチ塩味原理主義者の私としては共感できます。
  • 添加物も無添加も、あらゆる食材は量によって“毒”になる

    無添加の品は安全で安心――。いま、日人の多くがこのような感覚を抱いている。そして、品企業は消費者のこの感覚に応じようと、“無添加”を謳う品を売ることに力を入れている。 無添加とは、品添加物が含まれていないことだ。では品添加物とはなにかというと、品を調理加工製造するとき添加される物質のことだ。日人の無添加志向が根強いのは、裏を返せば「品添加物は危険で不安」と感じている人が多いことの表れでもある。 だが、冷静になって、品添加物のリスクを考えてみるとどうだろう。そこには、感覚と現実のギャップがあるのではないか。 「日の法律を守っている限り、品添加物をべても危険はないと言い切ってよいと思います。無添加だから健康で安全という理論も成り立ちません」 鈴鹿医療科学大学保健衛生学部の長村洋一教授は、このように強調する。長村教授は品化学を専門とし、市民に品の安全性と危険性を知ら

    添加物も無添加も、あらゆる食材は量によって“毒”になる
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