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サッカー日本代表に関するdubbed_pachiのブックマーク (6)

  • もし川口能活が登場しなかったら。日本サッカーを変えた男の引退。(戸塚啓)

    サッカーの潮流を変えた男が、今シーズン限りでキャリアに幕を降ろすこととなった。日本代表として4度のワールドカップに出場した川口能活が、11月4日に現役引退を発表したのである。 プレーは革新的だった。 GKに対する理解がいまよりもっと乏しかったJリーグ黎明期に、川口はそれまで知られていなかったこのポジションの質を提示していった。GKはシュートストップだけでなくポジショニングやコーチングが大事であり、空中を舞うセービングはあくまでも最終手段に過ぎないといったことを、ひとつひとつのプレーを通して啓蒙していったのである。 攻撃の起点となるプレーも、つねに意識していた。キックの精度は抜群で、日本代表では中田英寿と、横浜F・マリノスでは中村俊輔とのイメージの共有は印象深い。フィールドプレーヤーとしての感覚に優れ、素早い攻守の切り替えを実現した。 フォトジェニックでもあった。フィールドプレーヤーに

    もし川口能活が登場しなかったら。日本サッカーを変えた男の引退。(戸塚啓)
  • 森保U-21、アジアの頂点に王手。決勝の相手は兵役免除がかかる韓国。(飯尾篤史)

    初戦のネパール戦と比べると、見違えるようになった。 ボールへの執着心、戦う姿勢、球際における強さが――、である。 その最たる例が、疲労困憊の時間帯に生まれたゴールシーンだった。 アジア大会準決勝のUAE戦。0-0で迎えた78分、左サイドからのクロスをカットされてカウンターを浴びそうな場面で、ボランチの渡辺皓太(東京ヴェルディ)がタックルを見舞ってボールを奪い取り、すぐに上田綺世(法政大)にパスを通して決勝ゴールを導いたのだ。 これには森保一監督も「皓太の良さが出た、素晴らしい守備からの得点だったと思います」と称賛を惜しまなかった。 「疲労が出て少し後ろで休むというか、ポジションだけ取るっていうことも考えられるなか、皓太が良い集中を持って、相手がボールを動かすところを狙ってくれた。疲れているなか、気迫の表れたプレーかなと思います」 疲れていても身体が自然と動く。 もっとも、気迫の表れるプレー

    森保U-21、アジアの頂点に王手。決勝の相手は兵役免除がかかる韓国。(飯尾篤史)
  • ベルギー戦後にオシムが喝破した、日本代表のさらなる伸びしろ。(田村修一)

    劇的な結末を迎えたベルギー戦について、イビチャ・オシムに2度電話で話を聞いた。最初は試合の直後、2度目はその3日後である。 喜びと悔しさ、ふたつが入り混じった複雑な感情を呼び起こした試合への思いは、悲しいながら根底に喜びと満足があるという点で、オシムも私たちと一緒だった。 ここに掲載するのは、試合直後に行われたインタビューである。 試合の興奮が冷めやらないなかで、オシムが日サッカーを巡る状況についても冷静に分析していることがよくわかる(なお、長谷部誠の代表引退と、新しい代表監督をどう選べばいいのか、日サッカーがこれから何を目指すべきかを語ったインタビューは、7月10日発売のナンバー臨時増刊号にその骨子を掲載しているので、そちらを参照していただきたい)。 「これで日はどんな試合でも戦える」 ――元気ですか? 「君らは運が良かった」 ――メルシー、そう悪くない試合でしたが……こういう結果

    ベルギー戦後にオシムが喝破した、日本代表のさらなる伸びしろ。(田村修一)
  • トルシエが考える日本代表の問題点。「西野にナショナリズムを託したのか?」(田村修一)

    フィリップ・トルシエは現在、中国1部リーグの重慶当代力帆でスポーツディレクターをつとめる傍ら、自らのワイナリーをボルドー・サンテミリオン地区に有し、2014年からワインの製造も手掛けている。と同時に、日サッカー、とりわけ日本代表については、常にその動向を気にかけ、熱い視線を向けている。 ヴァイッド・ハリルホジッチ解任騒ぎも一段落し、いよいよワールドカップ大会に向けての最終段階に入った感があるが、当のところ、トルシエは突然の解任劇と西野朗新監督率いる日本代表の可能性をどう見ているのだろうか――。 監修:田村修一 ――ヴァイッド・ハリルホジッチが日本代表監督を解任されたのは驚きでしたか? 「驚いたことは驚いたが……その答えはウィとノンの両方になる。 まず驚きであったのは、ワールドカップ大会を2カ月後に控えて監督を交代するのはほとんど考えられないからだ。というのも監督こそはチームのサッカ

    トルシエが考える日本代表の問題点。「西野にナショナリズムを託したのか?」(田村修一)
  • フォトグラファー高須力が撮った激闘の瞬間(高須力)

    アジアカップ東南アジア大会ベスト8(ハノイ ミーディン国立競技場) 日 1-1 オーストラリア(PK戦4-3) 雲ひとつない青空、肌を焼く強い日差し、スタジアムへと続く長い上り坂、決戦に向かう高揚感、そして、たった8分間の逆転劇。2006年6月12日、ワールドカップドイツ大会グループリーグ初戦、日本代表はオーストラリアに敗れた。このとき見た情景、感じた絶望感は今でも忘れられない。 その翌年の夏、ベトナムのハノイ。不快指数MAXの蒸し暑さの中で戦うことになったアジアカップ準々決勝。相手はまたオーストラリアだった。正直に告白するならば、弱気の虫に蝕まれていた僕はこの試合が怖くて堪らなかった。 後半24分、アロイージがゴール。「あぁ、やっぱりね」。そう沈んでいた3分後、高原直泰がゴール! 「うぉぉぉ!!」。思わず足元の広告看板を蹴飛ばしてごめんなさい。そのままなだれ込んだPK戦。川口能活のスー

    フォトグラファー高須力が撮った激闘の瞬間(高須力)
  • ダバディだけが知る本当の「ハリル」。“鬼才”前日本代表監督との3年間。(フローラン・ダバディ)

    ハリルホジッチ監督が解任された。 田嶋会長の会見を聞いた。 東京五輪を見込んで、全員日人で団結したかったということでしょうか。21世紀にしてその発想とは、虚しい。悔しい。 私は、単一民族主義は間違っていると思う。理性を働かせて理解することはできるが、必ず失敗することも知っているから。 ハリルさんが育った旧ユーゴスラビアの黄金期は、すくなくともスポーツや文化において、あらゆる民族、宗教、文化が混ざり合った'80年代だった。彼の母国であるボスニアで開かれた'84年のサラエボ五輪はその象徴だった。 サッカーでも、マラドーナのアルゼンチンを追い詰めたオシム監督のユーゴスラビア代表は人種のるつぼだった。ハリルさん自身も異なる民族の血を引き、国際結婚をし、異国(フランス)で自分の子供たちを育てたのだ。 だからコスモポリタンなハリルさんが日本代表の監督になった時、とても嬉しかった。日サッカーが変わる

    ダバディだけが知る本当の「ハリル」。“鬼才”前日本代表監督との3年間。(フローラン・ダバディ)
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